「あのね、アスランっ!」
無邪気なキラがいつものようにぱたぱたと後ろから駆けて来る。
可愛いキラ。幼年学校の子供達の中でもその愛くるしさはダントツである。
風に揺れる艶やかな栗色の髪と、走ってきたせいで少し色をつけている頬。
いつもアスランを見ては嬉しそうに微笑む、子犬のような純真な紫の瞳。
何もかもが狂おしいほど可愛らしくて、沈んでいたアスランの気分を浮上させるのはいつもキラだ。
「すっごいの!」
「何が?」
「あのね、ゲーム買ったの!だから、今日遊ぼう?」
毎日一緒に遊んでいるのに、キラは毎日こうしてアスランに伺うように誘うのだ。
「もちろん、いいよ。でもキラ、また短気起こすなよ?」
「うん、わかってるよ。あのね、アスラン」
「ん?」
「明日からね、お父さんとお母さん出かけちゃうんだ。それで、アスラン…アスランのお母さんもまだ出張でしょ?」
「ああ。泊まりに来る?」
「え、いいの!?」
いいのもなにも、そういう誘いだったんだろうに、とアスランは苦笑しながらキラの艶やかな髪を撫でて頷いた。
「いいよ、おいで。キラに料理させるのは心配だし」
「そんなことないよ、こないだだってちゃんとハンバーグ作れたし…」
「魚は?」
「もう真っ黒にしたりしないもん!」
先月、アスランの親がいないのはいつものことだったから泊まりに来たキラはアスランと共に夕食を作ったのだ。
アスランがお風呂掃除をしているあいだに、任せて!というからグリルで焼くだけだし任せても平気だろう、と思って魚を焼くことを任せたのだ。
掃除を終えたアスランが見たのは、必要以上の火力で焼かれて炭となった黒い塊だったが。
「はいはい。じゃあ、今度は一緒に作ろうか。キラはなにが食べたい?」
「んー…アスランは?」
「俺は好き嫌いはないから、何でも。あ、ロールキャベツとか…は、キラのお母さんにこないだ作ってもらったか。そうだなぁ……。キラ、当ててみて?」
「え……えっと」
アスランは美味しければ何でも食べれるのだが、キラは好き嫌いが激しい。
辛いのは嫌、とかアスパラはもさもさするから嫌い、など細かい。
そんなところも可愛くて仕方がないのだけれど。
「んー…」
悩みながら、首を傾げるキラは本当に可愛くて真剣に悩ませている罪悪感さえ感じるほどだ。
「ね、キラ。いいこと教えてあげようか?」
「え、なぁに?」
「秘密なんだけど…人の思ってること、知りたい?」
「うん。アスランが何を食べたいのか、知りたい」
「そういうときはね…」
アスランはほんの悪戯心で、キラの白い耳元でくすぐるように囁いた。
「キスをすると、わかるんだよ」
「そうなのっ!?」
これまでも何かにつけて唇をつける、くらいのことはしていた。
そんなたどたどしい子供するキスに抵抗がなくなったキラだから、とアスランは企んでいたのだ。
可愛い可愛い、誰よりも愛しいキラの最初の相手になるのは自分しかいないし、最後までそうだ。
齢十一歳にして、アスランは生涯をキラの側で過ごすのだと決めていた。
「ん、じゃあぁ…アスラン、こっち来て」
くい、とブラウスの袖を引っ張ってキラは人気のない方向に向かう。
幼年学校の校舎の中では生徒たちが走り回ったりはしゃいでいたりして、死角となる場所はあまりない。
照れ屋のキラが選んだのは、使われていない教室。
「ん…」
目を閉じて、アスランの唇にそっとその桜色の柔らかい感触が触れる。
くすぐったいようなキスを受け止めて、アスランは翡翠の目を細めて至近距離で見るキラの表情を観察していた。
長い睫毛に隠された紫色の瞳が、少しずつ現れる。
「ん…んんん?」
「わかった?」
「ううん、わかんない…」
至近距離で顔を離して、キラは首を傾げる。
「あのね、キラ。キラが考えてること、当てて見せようか?」
「できるの?」
「そう」
アスランはキラの耳を撫でて、そのまま手を滑らせて抱き寄せた。
唇を重ねて、首筋を指でなぞるとキラは驚いたようにくぐもった声をあげる。
「ふぁっ…」
開いた唇に舌を侵入させて、唇の裏側をちろちろと舐める。
それからゆっくりと、歯列をなぞるようにしながら角度を変えて刺激をするとぴちゃぴちゃと濡れた音が微かに耳に届く。
「キラ」
「な、なに!?」
「食べられるかと思った?」
「……なんでわかったの!? すっごいアスラン!!!」
こんなことをしなくても、アスランはキラの考えていることなら大体わかる。
伊達にずっと側にいたわけではないのだし、誰よりもキラを見てきたのだから。
「じゃ、当ててみて」
言われてキラは頷きつつも、困ったように弱々しい声で尋ねた。
「あのね、アスラン…今の、どうやってやるの?」
一人では何も知らないキラ。キラのような無垢な少年にはまだそんな欲望を持つことはないのだろう。
成長してもそんな欲望をキラが抱くところなんて、想像もできない。
「おいで、キラ」
壊れかけた椅子に座ってアスランは言う。
「そう、正面向いて……膝の上、ね」
足を開いてアスランの膝の上にまたがるようにして座ったキラは、手をアスランの肩の上に置く。
「気持ちよかった? さっき」
「うん…あのね、なんだかクラクラしたの」
「キラが気持ちよかったこと、してみてよ」
「ん」
キラは頷いて、ゆっくりとアスランに口付ける。
目を閉じて。至近距離だとその長い睫毛がアスランの肌に触れるのではないかと思うくらいだ。
たどたどしい触れるだけのキスから、キラは少しだけその桃色に濡れた舌をアスランの口内へとちろり、と侵入させる。
くすぐったい感覚がアスランの口内をゆっくりと這うように移動する。
アスランがしたものよりは全然子供じみているけれど、キラの動きにあわせてアスランがキラの舌を絡めたり、口付ける角度を変えるだけで十分楽しい。
無垢なキラにこんなことをさせるなんて、という自分の思いは確かにあるのだけれどそれ以上に嬉しくて仕方ない。
キラがこういうことをするのは、自分だけなのだという優越感。
「んぁ、わ!」
キラは突然目を開いて、口を離す。
銀糸が口元を濡らすのにも構わず、キラは嬉しそうに言った。
「んと、グラタン…?」」
「……正解」
実はアスランは何も考えていなかったのだが、誇らしげに言うキラの様子があまりに可愛いのでついつい頷いてしまった。
少しずつ重ねられる嘘と、深くなる幼い愛情表現の行為。
それでも、アスランは喜んでいるキラを見て満足げに笑った。
同時に、近いうちにこんなものではすまなくなることも自覚しながら。
「そうだ、アスラン。もうすぐアスランの誕生日だよね。プレゼントは何がいいかなぁ?」
「キラがくれるものなら何でもいいよ」
「アスランの誕生日は、アスランのお母さんもお休みでしょ?」
毎年、忙しくしているアスランの両親のおかげもあって誕生日はキラの家で過ごすのが習慣となっている。
「その予定だけど、どうかな」
父親は今年も都合がつかないようだし、母親の仕事も最近忙しさを極めている。
一人息子の誕生日だから、と二人が休暇を取ろうと努力してくれていることをアスランは幼いながらもよく理解している。
けれど、結局のところアスランにとって誕生日を一番祝って欲しい人物は両親ではない。
「ねえ、キラ」
「なぁに?」
「何が欲しいか、当ててみてよ?」
離れたばかりの唇の色の鮮やかさに目を奪われながら、アスランは笑顔を浮かべる。
「アスラン、もう欲しいもの決まってるの?」
「決まってるよ」
「じゃあ教えてくれればいいのに…」
キラは拗ねた表情でアスランの膝の上に座りなおす。
改めて間近で見るとアスランの白い肌のきめ細かさや、悪戯の成果を見守るような愉しそうな色を浮かべた瞳にはっとする。
いつもそばにいるから、ついつい忘れてしまうけれどアスランは綺麗だ。
クラスの女の子たちが騒いているのも当然だと思う。
ふと、キラはアスランの正面で首をかしげた。
「ねえ、アスランには好きな子っていないの?」
「どうして?」
「ううん…前に女子が、僕にアスランの好きな子知らない?って聞いたから」
「……キラはなんて答えたのさ」
「知らないよって。だって、アスランとそういう話したことないし」
だれそれの課題はすごかったよね、などという話ならばともかく女子の誰が可愛い、というような話は確かにしたことがない。
アスランにとってはする必要のない話だが、よくよく考えてみればキラも同じとは限らない。
まさかキラに限って、とは思いつつもアスランは慎重に問いかけた。
「キラはいるの?」
「うーん……」
キラはさらに首をかしげる。
「僕はアスランと遊ぶのが一番好きだよ?」
「そう」
にっこりと笑ったアスランにつられて、キラも嬉しそうに笑みを浮かべる。
「アスランが女の子だったらお嫁さんになってほしいもん」
無邪気に言ったキラの言葉にそれ以上の深い意味はないことは百も承知だがアスランの心臓は激しく動揺してしまう。
(…キラ!!!)
今すぐ抱きしめて俺もだよ、と囁くのは簡単なことだけれどそれでは何も進まない。
アスランは意を決した。
「ねえ、キラ。じゃあ誕生日には…」
「ん?」
「何が欲しいか当てて、それを俺にくれる?」
「うん、ちょっと待ってね」
アスランの思惑など知ることもなく、キラはアスランと唇を重ねる。
柔らかいその感触にアスランは閉じていた目をうっすらと開ける。
キラの瞳を隠す長い睫がすぐそこにある。少し紅潮した頬は少女のようでアスランはゆっくりとキラを抱きしめる。
キラの手はアスランの肩に回されていて、二人の様子を見る者がいたならばまぎれもなく初々しい可愛らしい恋人同士だと思ったことだろう。
少し離して、息をして角度を変えてキラはアスランの唇を舐める。
猫がするような仕草にくすぐったさを感じながら、アスランも口を開いてキラの舌を迎える。
歯の上を滑る感触に、次第にキラの口の中でとアスランが侵入する。
「んっ…」
逆転された動きにキラはとまどったように目を開けるけれどアスランは有無を言わさずキラとのキスを楽しみ続ける。
視線が絡んで、潤んだ菫色の瞳は食べてしまいたいと思うほど印象的だ。
キラのすべてを手に入れたい、という想いをキラが知ったらどうなるのだろう。
「ぁ、アスラ…ン…」
困惑するキラの声に、アスランはゆっくりと唇を離す。
名残惜しそうに。
「…わかった?」
本当はそんなことはどうでもいいのだが、アスランは尋ねてみた。
まだキラは自分の気持ちに気づかないのだろうかという焦りもある。
キラは弱弱しく首を横に振った。
けれど、次に言った言葉は偶然にも的を得ていた。
「アスランの欲しいものなら、僕、なんでもあげたいよ?」
「本当に?」
「うん。約束するよ」
無邪気な約束のために差し出された小指に、指を絡める。
「じゃあ、楽しみにしてるからね」
いつも傍にいるのだから、焦ることはないと思いながらも堪えきれない予感にアスランはキラを抱きしめた。
数日後。
10月末、ようやくまとまった休みをとって帰宅したレノア・ザラは家の中に人の気配を感じて、玄関の前で微笑んだ。
一人では寂しいだろうけれど、息子には兄弟のように仲のいい友達がいる。
もしも女の子だったらアスランの嫁に欲しいくらいに素直で可愛いので、時折レノアとキラの母親は冗談交じりに結婚させたいものだわ、と話してしまうほどだ。
「ただいま」
ゆっくりとドアを引くけれど、いつもならすぐに聞こえるはずのスリッパの音がない。
二階の部屋の電気はついていたはずなのに、と思いつつ靴を脱ぐとやはりそこにはアスランとキラの靴がきちんと並んである。
「…寝てるのかしら?」
二階へ視線を投げかけてから、レノアは首をかしげた。
二人が降りてくるまでそれから三十分ほど時間がかかった。
「おかえりなさい、母上」
「おかえりなさい…」
いつもどおりに穏やかな微笑みを浮かべて嬉しそうに出迎えてくれる息子と相変わらず可愛い様子の息子の親友にレノアはにっこりと笑った。
降りてくるまでの時間や、レノアが帰ってくるまでに何があったのか。
例年よりも嬉しそうに誕生日を過ごすアスランの様子を見守りながらレノアはその疑問を忘れていった。
written by ?:?様