イザとキラちゃんの馴れ初めです。

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ピュア*ピュア 7〜9
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【7】
ピュアストーリーは突然に

そもそもの二人の出会いはこうだ。


その日、キラは生まれて初めてプラントに降り立った。


「うわぁ・・・すごい人」


人波に流されるように降り立った宇宙港は想像以上の人でごった返していた。
あまりの光景に驚いてその場に立ち尽くしていると後ろから来た人にぶつかってしまい、キラは慌てて前へと進む。
とりあえず流れに沿って進んでいくと広い空間に辿り着いた。
キラは人波から外れて隅のほうに移動すると、空いているベンチに腰掛けて小さく息を吐き、そのまま目の前を流れていく人波をぼんやりと眺める。


「やっぱり中心プラントだと人も多いなぁ・・・」


感心したように呟いて周囲を見渡す。
シャトルの窓から見たときには大きな砂時計のようにしか見えなかったその建造物は、キラが住んでいる旧式スペースコロニーとは違い、コーディネイターが持つ最先端技術を駆使して造り上げられた物だ。
そしてたった今キラが降り立ったプラントは、数あるプラント郡の中でも最高評議会の議事堂や軍本部が置かれている中心都市となっていて、そのせいか目の前を通る人波には軍服を纏った人が多く見られる。


「ここの何処かにアスランがいるんだね」
『トリィ』


嬉しさが滲む言葉に、彼女の肩にとまっている緑色のロボット鳥が答えるようにひと声鳴いた。
カシャンカシャンと羽根を動かすロボット鳥を通り過ぎる人達が珍しそうに見ていく。
母親に手を引かれた小さな男の子が興奮したように飛び跳ねて緑の鳥を指差した。


「ママ、見て!鳥さんだよ!」

「あら、本当。珍しいわね」


親子連れが通り過ぎる一瞬、耳に届いた会話にキラが誇らしげに笑う。
このロボットはキラが作ったわけではないのだが、大切な幼馴染みに貰った物が褒められるのは嬉しい。
肩に止まるロボット鳥に視線をやると、鳥は小さく首を傾げてキラの肩から飛び立ち、男の子の頭上をくるりと旋回して戻ってきた。
ロボット鳥が動くのを間近で見た男の子は更に興奮して飛び跳ね、キラに向かって小さく手を振ると母親と一緒に宇宙港を出て行った。
手を振り返していたキラは二人の姿が見えなくなると荷物を抱え直す。


「さて、僕達も行こうか。まずはホテルを決めて、それからアスランの家を探そうね」
『トリィ』


彼女がプラントに来たのには理由がある。
プラントに引っ越していった幼馴染のアスランを探すためだ。
月の幼年学校で出会って以来いつも一緒だった幼馴染みがプラントに移り住んだのは三年前。
突然の別れが信じられずただ泣く事しか出来なかった自分に、彼は「また会えるよ」と言って手作りのロボットを手渡した。それがキラの肩にいるトリィだ。
その後もお互いメールを出しあってやり取りが続いていたのだが、ここ最近どういう訳かアスランとまったく連絡が取れなくなってしまっていた。
最初のうちは「忙しいのかな?」くらいにしか考えなかったキラだったが、それが一ヶ月二ヶ月と続くとさすがにおかしいと思いはじめる。

――― アスランはどうしてメールをくれないんだろう?僕があんまりしつこくメールを送るから嫌になっちゃったのかな・・・。それともメールを書く暇もないくらいに忙しいの?でも今までだって忙しいって言ってたけどちゃんと返事はくれてたのに・・・。

あれこれ考えているうちに「メールが来ないのなら直接会って確認すればいいんだ!」という実にシンプルな結論に達した彼女は、渋る両親を説得して何とかプラント行きを認めてもらったのだった。


「ふふ・・・突然会いに行ったらきっとビックリするよね!」


突然現れた自分を見て驚くアスランを想像して、キラは小さく笑うと足取りも軽くロビーを歩きはじめた。


観光地やホテルを検索するためロビーに備え付けられているパソコンは生憎すべてが使用中で、仕方なくキラは再びベンチに腰掛けるとパソコンが空くのを待つ事にした。
ふと視線を向けた窓の向こうにはプラントを支える巨大なシャフトタワーが見える。
タワーに沿って視線を下げればそこには地表を覆う青い海面があり、まるで地球の一部をそのまま切り取ってはめ込んだような光景が広がっていた。
この何処かにアスランがいる。
そう思うとキラの頬は自然と緩んで、まだ幼さを残す顔には嬉しそうな笑みが浮かんでくる。


「早く会いたいな・・・アスラン」


自分の膝の上で首を傾げて鳴くトリィに微笑みかけ、キラはもう一度パソコンの置かれたスペースに視線を向けた。パソコンはまだしばらく空きそうにない。


「仕方ないね。もう少し待っていようね、トリィ」


ここまで来れば急ぐ事もない。
幼馴染みはもう目と鼻の先にいるのだから。
そう思って少し楽な姿勢を取ると何だか急に眠くなってきた。
大きな窓からは暖かな日差しが降り注ぎ、コンピューターで制御された空調は快適な気温を保っている。
静かなロビーの中、細波のように響く人々の声がまるで子守唄のように優しくて。
慣れない長時間のフライトで疲れていた事もあり、キラは耳に届く心地良いざわめきに誘われるまま、ゆっくりと眠りに落ちていった。



『トリィ』

聞こえてきたのはもうすっかり耳に馴染んだデジタルの鳴き声。

『トリィ、トリィ』
「・・・・・・・ん・・・なぁに?トリィ。・・・ふぁ・・・」


二度目は鳴き声と共に軽く掌を突付かれて、キラは欠伸をしながらようやく目を覚ます。

「むぅ〜・・・まだ眠いよぉ・・・・・・・。え・・・な、なに?どうして真っ暗なの!?」


寝ぼけ眼を擦りながら周囲を見回した彼女は、目を閉じる前とはあまりにも違う外の様子に驚いて声を上げた。
窓の外はすっかり日も落ちて夜の景色が広がっていた。
家々に灯る小さな明かりが地上に降り注いだ星のように煌めいているのが見える。
慌てて時計を見るとすでに夜の十時過ぎ。
宇宙港に着いたのはお昼過ぎだったから八時間近く眠っていた事になる。
ロビーには辛うじて明かりが点いているもののすでに人影はまばらで、電光掲示板も最終便の到着予定時刻一つを残すのみとなっていた。

(――― ああ・・・またやっちゃった!)


キラは呆然とベンチに座り込みながら己の悪癖を呪った。
いつどんな場所でもすぐに眠る事が出来るのはキラの特技でもあり、また悪い癖でもある。
キラが小柄な上に座っていたベンチがちょうど観葉植物の陰になっていたため、宇宙港の職員も彼女の存在にまったく気付かなかったようだ。


「と、とにかく早くホテルを探さなくちゃ!」
『トリィ』


荷物を手にばたばたとパソコンに駆け寄るとホテルの検索をする。
宿泊予算の欄に「とりあえずこのくらいかな」という妥当な金額を打ち込んでエンターキーを押すと、予算に見合ったホテルが一覧で表示されるという仕組みだ。
しかし。


「え・・・満室?・・・・・こっちも?」


表示されているホテルを全て調べてみるが、どのホテルもすでに満室だった。


「どうしてぇ?」


ずっと眠っていたキラには分かるはずもないのだが、実は彼女が眠っている間に出発便に遅れが出て、そのせいで足止めを食ってしまった人達が一斉にホテルを予約していたのだ。
もともと限られたスペースしかないプラントでは建造物の数に対して厳しい制限がある。
加えてこのプラントのように行政を主とする場所では観光客が来ることを想定していないため宿泊施設が極端に少ない。
限られた数のホテルに予想以上の人数が集中したため、全ホテルの全室が満員御礼という異常事態が起きてしまったのだ。


「どうしよう・・・。どうしたらいいんだろう・・・」


プラントに来るに当たって両親は充分なお金を持たせてくれた。
だがアスランに会ったら一緒に出掛けたりしたいし、また緊急事態に備えてある程度の金額は残しておきたい。
それを考えるとこれ以上高いホテルには泊まれない。
念のため少し上下の金額でも調べてみたがやはりどこも満室で。


「どうしよう・
・・・」
『トリィ』 「・・・・・あ。そうだ!アスランのおうちに泊めてもらおう!」



自分の肩の上で鳴くトリィを見てそんな名案が浮かんだ。 こんな時間に突然現れて泊めてほしいなんて言ったら迷惑だろうが、もうそれ以外に方法はない。
キラはホテル検索のページから住民検索のページに切り替えると「ATHRUN ZALA」と入力して検索キーを押す。
しかし画面に出たのは<該当する結果はありません>の文字。


「え・・・。なんで?」


驚いてもう一度検索してみるが結果は同じ。
試しに「ZALA」とだけ入力してもやはり<該当する結果はありません>という無機質なメッセージが出るだけで。


「え・・・え?・・・・・なんで?どうして?」


詳しい住所までは知らないが、彼がこのプラントにいる事だけは間違いない。
間違いないはずなのに・・・。


「もしかして・・・違うプラントだったのかな?」


ここだというのは自分の勘違いで、本当は別のプラントにいるのかもしれない。
それともまた引っ越したのだろうか。
どちらにしろ分かっているのはこのプラントに彼はいないという事。
だが百機近くあるプラントの中からアスランが何処にいるのかなど到底見つけようがない。
もし見つけられたとしても今日の出発便は全て終わってしまっている。
今から行くことも出来ない。

キーボードの上に乗ったままのキラの手が小さく震えだす。
他に知り合いのいないプラントで泊めてもらえる所なんて何処にもない。
こうなったら宇宙港の職員に頼んでここで夜を明かすしかなさそうだ。
キラの瞳にはじわりと涙が浮かんできた。
馬鹿みたいだと思った。一人で浮かれて彼を驚かそうなんて考えて、でも実際に来てみたらアスランはいなくて。
挙句の果てに泊まる所もなくて宇宙港で夜明かしなんて。
・・・・・・馬鹿みたいだ。


「・・・っ、・・・・・ふぇ・・・」


惨めで情けなくて、何より知り合いもいない場所で一人きりなのが心細くて。
キラはとうとう泣き出してしまった。

その時、ちょうど最終便が到着したようでロビーに数人の人影が降り立った。
予定時間よりも大幅に遅れて到着したためか、みな一様に疲れたきった表情でロビーを横切っていく。
ロビーの片隅で泣いている少女の姿に気付く者など誰もいない。


だが、ここで運命的な出会いが訪れる。


足早にロビーを通り過ぎる人々の中、赤い軍服を纏った少年がふと少女に視線を向けた。
一瞬通り過ぎるかに見えた少年は、だがしばらく躊躇したあと少女に向かって歩いていく。


「失礼。・・・どうかしましたか?」


突然かけられたその声に少女が振り返った。
紫の瞳いっぱいに涙を溜めた姿に少年が息を呑む。



それが、二人の出会い。


【8】
放っておけないあの子

「やっと着いたか・・・・」


目の前に広がる巨大なプラントの姿を目にしてイザークは疲れたように呟いた。
急な予定で別のプラントへと赴いていた彼は、用事を済ませてさあ帰ろうというところで運悪くシャトルの運行遅延に引っ掛かってしまった。
散々待たされた挙句ようやく辿り着いたのは予定よりも大幅に遅れた夜の十時過ぎ。
文句の一つも出ようというものだ。
同じシャトルに乗り合わせた人達も同じように疲れた顔をしている。
ともあれ今日中に帰ってこられたのは有り難い。
なにせ明日からは休暇に入る予定だ。
せっかく久しぶりに取れた休暇を他所のプラントで過ごすなんて事だけはごめんだ。
しばらくするとシャトルは宇宙港に繋がれ乗客はそれぞれ荷物を持って降りていく。イ
ザークも愛用のアタッシュケースを手にすると列の最後尾についてシャトルから降りた。



宇宙港の中は普段の賑やかさが嘘のように静かだった。 出発便はとっくの昔に運行が停止されていたようでロビーは人影もまばらだ。
同じシャトルから降りた人達が足早にロビーを横切る中、イザークも出口に向かって歩いていく。

と、その時。
彼の視界の隅にロビーの端っこで佇んでいる人物が映った。

シャトルの遅れで疲れていたし、いつもの彼ならそのまま無視して通り過ぎていたかもしれない。
しかしその人物が少女で、人目に付きにくいロビーの隅で俯いているとなれば無視する気にはなれない。
周囲を見回すが近くに職員の姿はなく、誰も少女の存在に気付いていないようだ。
迷ったのはほんの一瞬で、イザークは少女に向かって歩きはじめる。

距離が近付くにつれその少女が泣いているらしいと分かった。
真っ白いレース編みのカーデガンに包まれた細い肩が小さく震えている。
僅かに歩調を速めて一直線に歩いていくと、少女の肩にとまっている緑のロボット鳥がいち早くイザークの存在に気付いた。イザークを見て小さく首を傾げている。
とりあえずその鳥は無視することにして、イザークは少女に向かって声をかけた。


「失礼。・・・どうかしましたか?」


すると小さな肩がぴくりと反応し、少女がゆっくりと振り返る。


「・・・――― っ」


その瞬間、イザークは小さく息を呑んだ。
涙を溜めた紫の瞳が宝石のように輝いて、大きなその瞳に吸い込まれるような錯覚を覚える。
くらりと視界が傾いたような気さえして彼は思わず足に力を込めた。


「あ・・・」


しばらく放心したように立っていたキラだったが我に返ると慌てて涙を拭う。
まさか声を掛けられるなんて思っていなかった。
こんな惨めで情けない自分になんて誰も気付かないと思っていた。


「失礼・・・。泣いていらしたようだったので」

「あ・・・いえ、すみません。何でも、ないです・・・」


そう言って俯く姿はとても「何でもない」というようには見えず、イザークは取り出したハンカチを少女に手渡すともう一度訊ねる。


「何か困っているのでは?落し物ですか?」

「すみません・・・・そういう訳じゃ、ないんです。・・・・ただ、ちょっと・・・」


お礼を言いながらハンカチを受け取った少女は、しかし再び俯いてしまう。
少女の肩にとまっているロボット鳥が「大丈夫?」とでも言うかのように主の顔を覗きこんでひと声鳴いた。
ハンカチを目に押し当てて肩を震わせる少女の姿を前に、イザークは困り果てて視線を床に落とす。
そしてふと少女の足下にあるバックに目を留めた。


「これから出掛ける予定だったんですか?」


出掛けるために宇宙港へ来て、シャトルが運行停止になっていたせいで泣いているのだろうか。
そう思って訊ねると少女は小さく首を振ってぽそぽそと話しはじめた。


「いいえ、逆なんです。今日ここに着いたばかりだったんですけど・・・ホテルをとろうと思ったらどこも満室で・・・」

「満室?全てのホテルがですか?・・・・ああ、シャトルのせいか」


独り言のように落とされたイザークの呟きに少女がこくりと頷いた。
イザークはおもむろにパソコンに向かいネットワークを開くとホテル検索のページを調べはじめる。
カチャカチャとキーボードを操作する音が聞こえてきて、しばらくすると彼は少女を振り返る。


「いくつか空きがあるようですが」


そう言って空き室の残り少ないホテルの情報を見せると少女が首を横に振る。


「そこだと高すぎて・・・その、予算が・・・・」

「どれくらいなら平気ですか」

「・・・・えっと・・・・」


ぽそぽそと小声で伝えられた金額はあまり多いとは言えず、試しにその金額で検索をかけてみるが何処もすでに満室だった。


「あ・・・あの、もういいです。予約を取っていなかった僕も悪いですし・・・・今日はここで寝ますから・・・」


キラがご迷惑をお掛けしましたと言って頭を下げるが、イザークは「少し待っていて下さい」とだけ言うとロビーの中央にある案内カウンターへと歩いていく。


「あ・・・あの!」


キラはこれ以上迷惑は掛けられないと慌てて声を掛けるが彼は早足に行ってしまった。
仕方なく言われたままにその場で様子を見ていると、彼はカウンターに残っている職員に声を掛け何事か話し掛けている。
隅に立つキラを目で示して、おそらく何とかホテルをとれないかと聞いているのだろう。
しかし職員も困ったように頭を下げるだけだ。
それでもまだ諦めずに聞き続けている彼の姿に、キラは不思議と気持ちが落ち着いてきた。
さっきまではあんなに心細くて不安に押し潰されそうだったのに、見ず知らずの自分のためにここまでしてくれる人がいると思うと、落ち込んでいた気分も少し浮上してきたようだ。


(―――そうだよね・・・アスランを探すのはまた今度だっていいじゃない)


もとはと言えばちゃんと住所の確認もしないで飛び出してきた自分が悪いのだし、そんなに落ち込むような事でもない。もう一生アスランに会えないわけじゃないのだから。
勝手に探しに来て勝手に怒っていれば世話がない。
そう思うとなんだかおかしくなってきて、キラは荷物を持つとカウンターの前で職員と言い合いをする少年のもとへと近付いていく。


「貴様らは女性に床で寝ろとでも言うつもりか!?」

「申し訳ありません。しかし当社が経営するホテルもすでに何処もいっぱいでして・・・・簡易ベッドをご用意いたしますので、お客様にはそちらでお休みいただくように」

「ふざけるな!そもそもシャトルが遅れてホテルが満室になったのはそっちの責任だろうが!!」


ドンッ!とカウンターを叩いて怒鳴る少年に職員が声を詰まらせる。
キラは慌てて二人に駆け寄り興奮している少年の腕をやんわりと押さえた。


「もういいです・・・ありがとうございました」

「しかし・・・っ」

「僕の他にもホテルが取れなかった人はいるみたいですし・・・・全員分を用意していたらキリがないですよ?」


確かにロビーにはキラ以外にも部屋をとり損ねたらしい人がちらほらいて、ここで夜明かしをする事にした人達が宇宙港の職員から毛布を受け取っているのが見える。
しかしその人達はほとんどが中年の男性で、キラのような少女の姿は彼女以外に見られない。
いくら警備がつくとはいえこんな所に若い女の子を寝かせるのはどうにも受け入れ難い。
それに簡易ベッドと言えば聞こえは良いが、ようはベンチをくっ付けただけの物にすぎないのだ。
とても寝られたものではないだろう。


「あなたも早く帰らないとご家族が心配しますよ?シャトルが遅れて疲れているのに、ご迷惑をお掛けしてしまってすみません」


少女はぺこりと頭を下げて丁寧にお礼を言う。
それから何か気付いたように小さく声を上げて。


「僕はキラ・ヤマトといいます。あの・・・よければお名前を教えていただけませんか?」

「・・・・・・イザーク・ジュールです」

「イザークさん、色々とありがとうございました。僕は大丈夫ですから、イザークさんも早く帰ったほうがいいですよ」


にっこり微笑んでそう言われてしまえば当事者でもないイザークに口出しする権利はない。
どこか幼さの残る少女の姿に多少の不安を覚えはしたが、憮然とした表情で職員をひと睨みすると少女に軽く会釈して出口に向かう。
イザークは外に出る直前にもう一度だけ振り返る。
職員から毛布を受け取った少女がきょろきょろと辺りを見回してベンチのひとつに近付いて行くのが見えた。
荷物を床に置いて毛布を敷き詰めながら、自分の周囲を飛び回るロボット鳥に向かって人差し指を口許に当てる。静かにするようにとでも言っているのだろう。
イザークは迷いながらも自動扉をくぐり外に出ようとして―――結局、踵を返しロビーの中へと戻っていった。


「しー、静かにして、トリィ。ほら、もう寝るんだから・・・・あ、こら!」


いっこうに大人しくならないトリィに痺れを切らして捕まえると、慌てたようにもがいたトリィがキラの手から逃げ出して何処かに飛んでいく。
慌てて後を追おうとしたキラはさっきの少年がこちらに向かって歩いてくるのに気付いた。
ブーツの音を響かせながら真っ直ぐに自分へと向かってくる。
トリィが少年の頭上をくるりと旋回してその肩にとまった。
少年が一瞬驚いたような表情を見せるが、それ以上にキラのほうがその事に驚いて瞳を見開く。
今までトリィは自分以外の人の肩にとまった事なんてなかったのに。
たった一人、製作者のアスランを除いては。
カツンとブーツの音がしてイザークがキラの前で立ち止まる。
どうして彼は戻ってきたのだろうと紫の瞳が不思議そうにイザークを見上げた。


「あの・・・どうかしましたか?」


声を掛けると彼は少し躊躇った後。


「もし、よろしければ・・・」

「え?」



「よろしければ、我が家に泊まりませんか?」



瞳を瞬く少女に向かってそう告げたのだった。



【9】
ようこそ、我が家へ

『もしよろしければ、我が家に泊まりませんか?』


いま思えば、あれではまるでナンパのようだった。
初対面の女性を見ず知らずの男の家に誘うなど、馴れ馴れしいを通り越して怪しすぎる。
だがしばらくやり取りをした後、キラは結局イザークについてきた。
親切にしてくれたし、とっても紳士的だったから大丈夫って思ったんだよねと後に彼女は笑って言っていたが、イザークにしてみればもう少し危機感を持たせる必要があるなと思わずにはいられない。
とにかくそんなふうに出会った二人だが、結婚するまでにはそれこそ紆余曲折があったのだ。


******

柔らかいベッドの中、ウトウトとまどろんでいたキラはパンの焼ける香ばしい匂いに小さく鼻をひくつかせた。


「・・・・・・ふにゃ・・・」


ころりと寝返りをうって枕を抱え込む。
なんだかとても温かくて、幸せな気分で。
ホンワカと優しい心地を手放すのが勿体なくて、もうしばらくこのまま眠っていたかった。
でもあんまり遅くまで寝ていると世話焼きな幼馴染みが早く起きろとうるさいから、やっぱりそろそろ起きないと。
キラは幼子のような拙い動きで眠たい目を擦り、柔らかい感触で「もうひと眠りどう?」と誘うベッドの誘惑に負けそうになりながらも何とか体を起こした。
ふわぁとひとつ、子猫のような欠伸をして。


「・・・・・ん〜・・・あれぇ?」


どうして自分は洋服を着たまま寝ているのだろうと小首を傾げた。
さすがにカーデガンは脱いでいるが、おねだりして買ってもらったお気に入りのワンピースは皺が寄ってクシャクシャになっている。


「あれ・・・?うーんと・・・」


ぐるりと室内を見渡し、ここが自分の部屋ではない事に気付くと更に首を傾げて、ふと視線を向けた先。
そこに置かれた茶色のボストンバックを見た瞬間、キラはようやく昨日の出来事を思い出した。

そうだった。
アスランを探すためにプラントに来て、でも実際来てみたら彼はいなくて。
ホテルに泊まろうにもシャトルの遅れで部屋は何処も満室で、不安になって泣き出してしまった自分に声を掛けてくれた人。
結局ホテルは見つけられなかったけれど、こんな自分の事を心配して声を掛けてくれる人が居たのが嬉しくて、アスランに会えなかった寂しい気持ちもどこかに吹き飛んでしまった。
親切なその人にお礼を言って宇宙港で寝泊りする事にしたはずなのに、じゃあどうして僕はホテルの部屋にいるの?
そう思った時。

「・・・・・・・・・・、あ!」


小さく声を上げ慌ててベッドから飛び起きた。

そうだ。思い出した。
声を掛けてくれた親切なあの人。
宇宙港で夜明かしすると行った自分を見るに見かねたのか、その彼が「よろしければ我が家に泊まりませんか?」と言って自宅に招待してくれたのだ。
昨夜は疲れていたせいで部屋に案内された途端眠ってしまい、ろくにお礼も言っていない。
こんな所で寝ている場合じゃない!とキラは慌てて部屋を飛び出そうとして、しかしすぐに思い直したように荷物へ駆け寄る。
皺くちゃになったワンピースを脱ぎ捨てると鞄から引っ張り出した新しい服に着替え、少し寝癖のついた髪を整えてから今度こそ部屋を出た。

扉を開けた瞬間、朝の風景に相応しいパンの焼ける匂いとコーヒーの香りがして、家人がすでに起きている事を知る。
こんなに大きな家に泊めてもらっておきながら寝坊をした上に挨拶もまだなんて、きっとだらしない子だと思われてしまった。
ぱたぱたと足音を響かせながら階段を駆け下りたキラは、コーヒーの香りが漂ってくる開け放たれたままの扉の中へと転がるように入って行った。



「お早う、イザーク」

「お早うございます、母上。いつお帰りになっていたんですか?」


部屋に入るとすでに母親がテーブルに着いていて、昨夜遅くに自分が帰宅した時にはまだ姿のなかった母がいる事にイザークは驚いた。
エザリアはそんな息子の反応に微笑みながら席を立つと彼の頬に軽くキスをした。


「昨夜は遅かったのだけど、あなたが帰ってくる日だったから顔だけでも見ようと思って戻ってきたのよ」


愛しげに瞳を細めて息子の髪を撫でると再び席に着く。


「さあ、あなたもお座りなさい。久しぶりに一緒に朝食がとれるわ」

「はい。・・・母上、実は昨夜客人を一人泊めたのです」


その言葉にエザリアは僅かに瞳を見開いた。

「まあ・・・珍しいわね。あなたがお友達を泊めるなんて」

「いえ、友人という訳ではなく・・・・」


イザークは昨夜の出来事を掻い摘んで母親に話して聞かせた。

「分かりました。そういう事情なら幾晩泊まって頂いても構わないわ」

「申し訳ありません。何のご相談もせずに・・・」

「いいのよ。困っている女性を見捨てる事が出来ないなんて、さすがわたくしの子ね。それにしてもその子もお気の毒だわ・・・わざわざプラントまで来てそんな事に巻き込まれるなんて」


すっかり食事を終えたエザリアはナプキンで口許を拭きながら、緊急時の宿泊施設のあり方を見直さなければならないわ、と政治家の顔で呟く。
滅多にない事とはいえ、この先似たような事が起きないとも限らない。

「その子はまだ眠っているのね?」

「はい。昨夜は遅かったので」


少女を家に連れ帰った頃にはすでに真夜中を過ぎていた。
慣れない土地で疲れてしまったのだろう。
部屋に案内してやると少女は倒れるようにベッドに沈み、そのまま小さな寝息を立て始めた。

「いいわ。疲れているでしょうから、起きてくるまで寝かせておあげなさい」

「はい、・・・ん?」

「あら・・・」


会話の合間にトタトタと階段を走り下りてくる足音が聞こえてきた。
いったんはダイニングの前を素通りした足音は途中で止まると再びトタトタと戻ってくる。

「どうやらお目覚めのようね」


エザリアの楽しそうな言葉の一瞬後に。

「おはようございます!」


転がり込むようにダイニングに現れた少女が勢い良く頭を下げた。
深々と頭を下げる少女の姿にエザリアが小さく笑う。

「あらあら。そんなに頭を下げていては血が上ってしまうわ。さ、顔を上げて」

「え・・・?あ・・・」


言われるままに顔を上げたキラはイザーク以外の人物がいる事に驚いて瞳を瞬く。
ぱちぱちと瞳を瞬いて身を硬くするキラにイザークが母親を紹介する。

「母です」


言わなくても分かるでしょうが、と苦笑する彼の言葉にキラは二人を見比べる。
確かに髪の色も瞳の色もイザークのものと全く同じで、なによりもそっくりな二人の顔が、目の前の女性が彼の母親だという事を教えてくれていた。

「はじめまして。エザリア・ジュールよ」


優雅な仕草で席を立ったエザリアが微笑んで手を差し出すと、キラは慌てて彼女の傍に寄ってその手を握る。

「はじめまして、キラ・ヤマトです。あの・・・昨夜は泊めて頂いてありがとうございました。それなのにご挨拶もしないまま、寝坊までしてしまって・・・・」

「いいのよ。慣れない土地で疲れたでしょう?昨夜はよく眠れて?」

「はい」


自らも席に着きながらキラに席を勧める母親の仕草に、イザークはテーブルを回り込むと椅子を引いてキラに座るようにと促す。
流れるような彼の動きに、躊躇いがちだったキラも自然と席に着いた。
キラが椅子に腰掛けるのを見届けるとイザークは自分も席に着く。

(―――・・・うわぁ・・・)

こんなふうにエスコートをされたのは初めてだ。
思わず頬を染めるキラの姿をエザリアが楽しそうに見つめる。

「お腹がすいたでしょう?さあ、召し上がれ」

「あ・・・いえ!そこまでご迷惑をお掛けする訳には・・・」


椅子に座ってしまってからこんな事を言うのもおかしいのだろうが、家に泊めてもらっただけでもありがたい事なのに、これ以上迷惑を掛ける訳にはいかないと席を立つ。
けれどそんなキラをエザリアが苦笑しながら引き止めた。

「まあまあ・・・そう慌てないで落ち着きなさいな」

「でも・・・っ」

「お招きしたお客様に朝食も出さずに帰してしまったとあってはジュール家の恥だわ。さあ、座って」


そんなふうに言われてしまえばキラとしても拒めない。
そろそろと椅子に腰掛けるキラの姿にエザリアは満足そうに頷いて、焼きたてのクロワッサンが入った籠を彼女の前へと押しやった。
まだいくらか迷っていたキラだったが彼女のお腹が小さく音を立てて鳴くと真っ赤になって、いただきますと言ってクロワッサンに手を伸ばす。
ぱくりと噛りつくとバターの味が口の中に広がる。昨日から散々な目に合っていただけに、それだけでなんだかとても幸せな気分だった。

「あの・・・シャトルは何時から動き始めるんですか?」


ミルクのたっぷり入った紅茶を一口飲んだら気持ちも落ち着いて、キラは帰りの準備の事を考えて訊ねる。きっと同じように足止めを食った人達がチケットを取りに殺到するだろうから、なるべく早く準備しておくに越した事はないと思ったのだ。
しかし。

「シャトルはしばらくの間運休するそうです」

「え?」


イザークの答えに瞳を瞬く。

「し、しばらくの間って・・・何時間くらいですか?」

「何時間、と言うか・・・二、三日程度で復旧するそうです」

「二、三日・・・・・」


呆然と呟くキラにエザリアがにっこりと笑う。

「だ、そうよ。でも心配は要りません。シャトルが完全に復旧するまでこのまま我が家に居るといいわ。ねぇ、イザーク?」


当然のように告げるエザリアの言葉にイザークも頷く。

「一晩も二晩も同じ事です。どうぞ泊まって下さい」

「でも、でもそんな・・・」

「いったん引き受けた事を途中で放り出すのは私の理念に反します。どうぞ我が家に。・・・それともどこか泊まる当てが?」


行く当てなどないと分かっていながらの発言は卑怯だとは思ったが、多少無理を言わない限りこの少女は招待を受け入れないだろう。
そう思って言った言葉にやはりキラは俯いて。

「・・・・あ、あの・・・・本当に、いいんでしょうか?」


上目遣いにおずおずと訊ねれば、よく似た二つの顔が同じようにくすりと笑った。



「「ようこそ、ジュール家へ」」



こうして、キラのジュール家滞在が始まったのだった。



written by すみっこ:秋津るの様

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UpData 2005/11/15
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