キラちゃんとイザ。あまりにも純粋すぎて、コッチが恥ずかしいよ〜(^_^!)
それにしても無自覚とはいえ、アスラン許せんっ!!


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ピュア*ピュア 10〜12
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【10】
無邪気な恋が終わった日

「さあ、わたくしはそろそろ行くわ。キラさん、ゆっくりして行ってね」

「はい、あ・・・お世話になります」


慌てて席を立ちぺこりと頭を下げる姿も可愛らしくて、エザリアは頬に手を添えるとほうっと感嘆の息を吐く。
自分にもこんな娘がいたのなら。
思わずそんな事を考えてしまうくらい、目の前の少女は自分の中の理想の娘像にピッタリはまるのだ。
別に息子に不満がある訳ではないが、やはり女親としては娘がいたらと思う気持ちも捨てきれない。
一緒に料理をしたり買い物に行ったり出来たならどんなに楽しい事だろう。
彼女が滞在している間に一緒にお出掛けしようかしら、なんて事を考えたとき。


「・・・そういえば・・・ここへはどなたかを訪ねていらしたそうね?」


息子から聞いた事をふと思い出し問い掛けるとキラは僅かに俯いた。


「はい・・・。でもこのプラントには居なかったみたいで・・・僕の勘違いだったみたいです」

「引っ越して来たばかりなら住民検索にはまだ載っていないだけかもしれないわよ?」

「いえ。彼が引っ越したのは三年も前ですから・・・」


彼、というひと言にカップを持つイザークの手がぴくりと揺れた。


「そう、それならやっぱり間違いなのかしら・・・。そうだわ!どのプラントに居るのかわたくしが調べてあげましょうか?」

「え?・・・・でも」


エザリアの言葉にキラは表情を曇らせる。
百基近くあるプラントの中から何の情報もなしにたった一人の人物を探し出すなんてとても無理だ。
けれどそんな彼女の考えを察したのか、エザリアは安心させるように微笑むと心持ち屈んでキラの顔を覗きこむ。


「ふふ、安心なさい。わたくしはこう見えてもプラントの最高評議会議員なのよ。軍のコンピューターなら直ぐに見つけ出せるわ」

「・・・・・母上、それは職権乱用です」


無理だと思いつついちおう正論で諭してみるが、やはりと言うか、母は「小さい事を気にしないのよ」と言って聞く耳持たずだ。


「その人の名前は?年はいくつなのかしら?」

「えっと、名前はアスランです。『アスラン・ザラ』」


その名前に。
イザークが瞳を見開きエザリアはぽんとひとつ手を叩いた。


「まあ!それなら探すまでもないわ。彼は確かにこのプラントに居てよ」


エザリアのその言葉にキラは首を傾げる。

「・・・アスランをご存知なんですか?」

「ええ、もちろん。彼はイザークとはアカデミーからの同期で、今も同じ隊に所属しているのよ」

「アカデミー?・・・・隊に所属って・・・」


聞き慣れない単語にキラはますます首を傾げる。
その様子を不思議に思ったイザークが声を掛ける間もなく、母親は更に話を進めていく。


「あら、知らないの?彼も軍人なのよ」

「・・・・軍人?・・・・・アスランが?・・・・・・うそ・・・・」


呆然と呟くキラの声にイザークは訝しげに眉を寄せた。
昨夜彼女から聞いた話では探しに来た友人は幼馴染みだと言っていた。
なのにキラはプラントでのアスランの事を何ひとつ知らないのだ。
それとも、彼女は何も知らされていなかったのだろうか。


「そう、彼のお友達だったの。すぐに分かって良かったこと。・・・でもそれなら住民検索に載っていないのも無理はないわね」

「どうしてですか?」

「評議会議員やその家族の記録は一般の検索システムには載せない決まりなのよ。・・・安全上の理由、ね」


誘拐や暗殺の類いから本人や家族を守る為、軍の重要ポストにいる者達の情報は一般に公開されてはいないのだと言う。
けれどそんなエザリアの言葉はキラの耳には届いていない。
知らなかった。
アスランが軍人になっていた事も、アカデミーに入っていた事も―――プラント国防委員長の息子だという事も。
自分は何ひとつ彼の事を知らなかったのだ。
知らされても、いなかった。


「・・・・・・アスラン・・・」


呟いた名前は今までに何度も呼んで馴染んだもののはずなのに。
今はその名を口にする事がとても苦しく感じられ、キラはきゅっと唇を噛む。
声を失い次第に俯くキラの姿に、イザークがまさかあの事も知らないのではと焦ったとき。


「それにしても彼もなかなかすみに置けないわね。婚約者だけではなくこんなに可愛いお嬢さんとお知り合いだなんて」

「・・・っ、母上!!」


イザークの怒鳴り声にキラの体がびくりと揺れた。
いや、イザークの声に驚いたのではない。
ゆっくりと顔を上げたキラの顔は真っ青で、大きな紫の瞳は信じられないものを見るかのように見開かれ瞬きもしない。
彼女の唇が小さく震え、ひゅうと声に鳴らない音を漏らした。


「・・・・あ、あら・・・わたくし、何か変な事を言ったかしら・・・?」


そんなキラの様子にさすがにおかしいと思ったのだろう、エザリアが戸惑い気味に声を掛けると。

「・・・い、いいえ。・・・何も・・・なに・・・・も・・・」


本人は笑っているつもりなのかもしれない。
けれどキラの頬は引き攣ったように震えて、彼女の瞳からは大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちた。


「・・・・・っ」


突然走り出したキラの腕を掴もうとイザークは咄嗟に手を伸ばす。
だが寸でのところで小さな体は彼の手をすり抜け、キラは部屋から走り出ていってしまった。


「イザーク、いったいどう―――」

「母上はどうぞ議会へ行って下さい!」


訳が分からず焦る母親にそれだけ言うと、イザークはキラの後を追って二階へと駆け上がる。
階段を上りきったところでひらりと揺れるスカートの裾が視界を掠め、一番奥の部屋の中に滑るように消えた。
バタンと扉の閉まる音。
しんと静まりかえった廊下には、扉を挟んだ向こう側から小さなすすり泣く声が聞こえてくる。
イザークは扉をノックしようとして、躊躇う。
つい昨夜出会ったばかりの自分がいったい何を言えばいいのか。
落ち着くまでそっとしておくべきなのだろうかと考え、けれどこのまま放っておく事も出来なくて。
結局、普段の彼らしからぬ控えめなノックを数度響かせると室内に向かって声を掛けた。


「・・・・入ります」


返事はなかったが逆に拒否の言葉もなかった事を入室の許可と受け取り、イザークは静かに客間の扉を開けた。
扉は閉めずに開けたまま、ゆっくりと室内に入っていく。
ベッドの上に身を投げ出したキラは枕に顔を押し当てるようにして泣いていた。


「・・・ひっく、・・・っ・・ふ・・・・」


しゃくり上げるキラのそばでは、昨夜も見た緑のロボット鳥が首を傾げて泣き続ける主を見ている。

『トリィ』
「・・・・・・トリィ・・・・・、っく・・・ふぇぇ・・・」


そんなトリィを見るとキラは再び泣き出してしまう。
トリィはアスランから貰った大切な友達。
彼と離れている間も、トリィの姿を見ればアスランがそばに居てくれているような気がして安心した。
こんなに複雑なロボットを自分のために作ってくれたなんて、ただもうそれだけで嬉しくて。
「好き」なんて言葉にして伝えた事はなかったけれど、きっと彼も同じ気持ちでいてくれているのだと信じていた。
なのに結果はこれだ。


ベッドの脇に近付いてくる気配を感じ、キラはゆっくりと体を起こす。
俯いたままの視界の隅に、窓から差し込む太陽の光を受けて光を放つ銀髪が見えた。
拙い仕草で涙に濡れた目元を拭うとそっとハンカチを差し出され、そういえば自分は昨夜もこんなふうに泣いていて、同じように彼がハンカチを貸してくれたなと思い出す。
お礼を言おうと口を開いた瞬間また涙が溢れそうになり、結局キラは口を噤んでしまう。
そんな彼女の姿にイザークは躊躇いがちに口を開いた。


「アスランとは・・・」

「幼馴染み、です。月の幼年学校で知り合って・・・それからはずっと、一緒でした・・・」


震える声でそれだけ告げるとハンカチを顔に押し当てる。
溢れ出してくる涙は柔らかな布が優しく吸い取り、キラが泣き止む頃には手にしたハンカチはすっかり湿ってしまっていた。
まだ目尻に残っている涙を拭ってふと横を見ると、少し離れた場所に立つイザークと視線があった。
優しい慰めの言葉をかける訳でもなく黙ったまま立ち尽くす彼は、けれど部屋を出て行く気配も無くて。
あるいは掛ける言葉が見つからなかっただけなのかもしれないけれど、その控えめな優しさが嬉しかった。


「・・・・ごめんなさい・・・・。もう、大丈夫・・・」


笑い掛けようとして、やっぱり失敗してしまった。
これ以上泣き顔を見られるのは恥ずかしくて、キラは慌てて下を向くとえへへと声だけで笑った。


「なんか・・・・おかしいですよね。・・・僕、一人で勘違いしちゃって・・・」


彼が国防委員長の息子だなんて全く知らなかった。
軍人になっていた事だってメールには一度も書かれてなかった。もちろん婚約者のことも。
アスランにとっての自分は単なる幼馴染みでしかなかったのだ。
毎日のように送っていたメールもきっとアスランには迷惑で、だから返事をくれなくなった。
なのに勝手に勘違いをした自分は彼を驚かそうなんて考えて一人で浮かれて、知った事実にも勝手に傷ついて泣き喚いている。
なんて独りよがりな恋をしていたのだろう。
これでは嫌われたってしょうがない。

「会ってみてはいかがです?せっかく来たんですから、せめて話くらいは」

「いいえ・・・」


躊躇いがちな提案にもキラは首を横に振る。


「なんか・・・いま、会ったら・・・我がまま言って、困らせちゃうかもしれないから・・・」


我がままを言って困らせて、アスランに嫌われてしまうくらいならいっそ会わないままの方がいい。
そうすれば友達でいることは出来るから。
もしかしたら、そんな考えも彼にとっては迷惑なのかもしれないけれど。

(―――それくらいの我がままなら・・・いいよね?)

最後にもう一度だけ溢れた涙をハンカチで拭いて、俯いていた顔を上げた彼女の、濡れて輝きを放つ紫の瞳が儚い笑みを彩るように細められる。

「・・・シャトルが動いたら・・・ヘリオポリスに帰ります」


小さく呟かれた言葉は声の大きさに反して強い意思を窺わせ、イザークに出来たのは秀麗な眉を僅かに寄せる事くらいだった。
それと同時に激しい怒りが込み上げる。
アカデミー時代からのライバルは印象も相性も最悪で、それは同じ隊に所属するようになった今でも変わらず、二人は事あるごとに衝突を繰り返していた。
それでも、アスランのエースパイロットとしての確かな実力はイザークなりに認めていたつもりだ。
そんな永遠のライバルとも言える男が、思わせぶりな態度で淡い期待を抱かせておいて、自分はさっさと別の女性と婚約するなどという、そんな誠実さの欠片もない奴だったとは。
彼女は連絡の取れない幼なじみを心配して、少ない情報を頼りにたった一人でプラントまで探しに来たというのに。
沸々と胸に込み上げてくる怒りに、イザークの表情が次第に険しいものへと変わっていく。
そんな彼の変化に気付かないキラは、濡らしてしまったハンカチを気にしているようで、しきりに手のひらで押さえている。
借りたハンカチの隅に刺繍されている文字は、キラでも目にした事くらいはある有名ブランドのもので、遅まきながらその事に気付いた彼女はハンカチを握り締めたまま慌てて立ち上がる。


「あ、あの・・・。ハンカチ、こんなにぐしゃぐしゃにしてしまって・・・・・洗濯して返します!」

「いえ、そこまでする必要は」

「いいえ!それじゃ僕の気がすみませんから。洗濯機、お借りします」

「いえ、本当に・・・・・っ、危ない!」


イザークが止めるのも聞かないキラはそのまま駆け出そうとして、しかしベッドに座り込んでいたせいで痺れた足が言うことをきかず、バランスを崩した彼女はよろけて転びそうになる。


「きゃ・・・っ」

「・・・・・っ」


ドテッという音がして、助けようとしたイザークもろとも床に倒れこむ。


「いたた・・・。す、すみませ・・・―――」

「いえ・・・。だいじょう・・・ぶ・・・―――」


言いかけていた言葉は次第に小さくなって消えていく。
顔を上げた瞬間、視界に飛び込んできたのは互いの瞳の色。
抱き合った格好で床に転がる二人は声を失くしたまましばし見つめあう。


「・・・・・あ・・・、す、すすすすすみません!ご、ごめんなさい!足が・・・もつれて・・・っ」


あまりにも近付きすぎた距離に真っ赤になって、キラは慌てて起き上がると彼から離れた。
事故とはいえこんなふうに男の人に抱きつくなんて。
幼なじみのアスラン相手になら戯れ程度に抱きつく事もあったりはしたけれど、彼以外の男性にはまったくと言っていいほど免疫のないキラはパニックを起こして謝り続ける。


「す、すみません!すみません!」

「こ、こちらこそ・・・・失礼を・・・」


何度も頭を下げて謝るキラ同様、こちらも赤い顔をしたイザークが彼にしては珍しく歯切れの悪い口調で謝罪をする。
社交的なエスコートなら問題なく出来るイザークだが、実際には女性慣れをしているという訳ではなく、思いがけず触れてしまった少女の体の細さや柔らかさに赤面せずにはいられない。
イザークはその感触が残る手のひらを落ち着かない様子で握り締める。顔を上げた瞬間同じように顔を上げたキラと視線が合って、二人は同時に赤くなると俯いて再び「すみません」を繰り返した。



「あら、まあ」


開いたままの扉の影からこっそり室内を覗いていたエザリアは小さく声を上げる。
キラが気になって様子を見に来た彼女は偶然その光景を目にした。部屋の中では二人が相変わらず謝罪合戦を繰り広げていて、いい加減「すみません」と言う回数を数えるのも飽きてきた。
だが、それはそれ、これはこれ。
今まで軍務一筋だった息子が、あんなふうに女性を意識するのは初めての事ではなかろうか。
見ず知らずの女性を家に連れてきたと聞いた時から「もしや」と思っていたのだが、俯き赤くなる息子の姿を目にしたエザリアは確信した。
息子に、春が来たのだと。


エザリアはそっと扉から離れると足音を忍ばせて階下に下りる。
とにかくこの場はイザークに任せよう。
自分が出て行けばせっかくのいい雰囲気も台無しだ。
そう思いどこかウキウキとした足取りで玄関へ向かう。
玄関先には出勤する彼女を見送るためにすでにメイド達が並んでいて、そのうちの一人に向かい「あのお嬢さんの事をお願いね」と言うと止まっている車に乗り込んだ。
スッと音もなく開いた窓から顔を覗かせた彼女はどこか楽しげで。


「もしかしたら、ジュール家の大切な家族になるかもしれなくてよ」


そんなひと言を残して閉められた窓に、メイドたちは首を捻って顔を見合わせた。
エザリアを乗せた車は静かに動き始める。
門を出た道の先に広がるのは太陽の光を反射して煌めく一面の海。
その光の中へと吸い込まれるように走り出した車の中から我が家を見上げる。
屋敷の二階、一番見晴らしの良い位置にある客間では、可愛らしい少女と自分の息子が飽きる事なく謝罪をし続けているのだろう。
その光景を思い浮かべると彼女の口許には自然と笑みが浮かび、窓の外に広がる景色へ視線を移すと眩しい光に瞳を細め―――。


「頑張りなさい、イザーク」

優しい母親の笑顔でエールを送った。


【11】
初公開。ピュアホワイトな新婚家庭

現在、ジュール家には三名のメイドがいる。
そのうちの一人、メイドの中でも一番若いハルカは鼻歌混じりで花壇の花に水を撒いていた。
地球の春を思わせるような陽気についつい気分も良くなって、まるでダンスをするような軽い足取りで花壇の間を行ったり来たり。
くるりと回転した彼女の動きに合わせてホースから流れ落ちる水が円を描き、色とりどりの花の上に降り注ぐ水飛沫が小さな七色の虹を作り上げた。
そんなふうに仕事半分、遊び半分で水を撒いていた彼女の足がぴたりと止まる。
ゆっくりと開き始めた門に目を凝らし、驚いた様子で口許に手を当てた彼女は「あら!」と声を上げた。
楽しそうな笑みを浮かべると急いでホースの水を止め小走りに屋敷へと向かう。

「大変、大変・・・早く若奥様にお知らせしなくちゃ!」


いそいそと走り去る彼女の後ろでは、小さな虹がゆっくりと光の中に溶けて消えた。

******

明るい日差しに包まれたキッチンに響くのは楽しげなハミング。
白を基本色として作られたキッチンは、窓から差し込む光を反射して部屋中がキラキラと輝いているように見える。
カウンターもテーブルも、棚に仕舞われている食器類もすべてが白。
窓に掛けられたカフェカーテンも白。
そして、ハミングに合わせてキッチンを動き回るキラが着けているエプロンも白―――と、まさに絵に描いたような新婚家庭である。
使い終わった料理器具を片付けていたキラは、オーブンから聞こえてきた終了の合図に手を止めると振り返った。
ぱたぱたとオーブンに駆け寄り扉を開く。
すると扉の隙間から暖かな湯気が溢れ出し、同時にキッチンの中には甘い香りが広がった。

「出来たかなぁ?」


鉄板を引っ張り出し、その上に乗っているケーキ型を取り出すと、こんがりと焼き色がついた表面を竹串で刺してみる。
スッと引き抜いた竹串を眺めたキラはにこりと笑った。

「うん、出来た!」


満足のいく出来に頷いて焼き上がったケーキを型から外す。
まだほかほかと湯気を上げるケーキを冷ますために網に乗せ、その間に片付けを済ましてしまおうと動き始めたキラの耳に明るく弾んだ声が聞こえてきた。

「若奥様、若奥様ぁ〜!」


パタパタと忙しない足音と一緒に聞こえてきたハルカの声に、キラが「あんなに大きな声を出してどうしたんだろう?」と小首を傾げたとき。

「若奥様?いらっしゃらないんですか?キラ様ぁ〜!」

「・・・あ・・・・は、はい!います!」


一瞬きょとんと瞳を瞬いたキラは、それが自分を呼んでいるのだと気づくと慌てて返事をする。
ジュール家に来てからもうだいぶ経ったにもかかわらず、キラはこの「若奥様」という呼ばれ方にいっこうに慣れることが出来ずにいた。
まだ16歳の自分には似合わないような気がするし、なにより気恥ずかしさが先立って返事をするにも照れてしまう。
けれどキラより五つ年上のハルカはそんな初々しい反応が逆に楽しいらしく、恥ずかしがるキラをからかうように何度も「若奥様」を繰り返すのだ。
キッチンの扉からひょこりと顔を覗かせたキラは自分を探し回っているハルカに声を掛ける。

「ハルカさん、ここです」

「まあ、そんな所に!イザーク様がお戻りになられましたよ」

「え?・・・イザークが!?」


キッチンに駆け込んできたハルカの言葉にキラの表情がパッと明るくなる。

「今お車が・・・・まあ、大変!もう玄関までお見えだわ!」


「お出迎えをしないと」と言って、来たとき同様に走り去る彼女の後に続いてキラもキッチンを出ようとする。
しかし、着たままだったエプロンを外していた彼女は何かを思い出したように慌ててキッチンへ逆戻りした。
テーブルの上に置かれた小皿から取ったのは、お菓子作りの間は外していた大切な結婚指輪。
そっと左手の薬指にはめるとその手を胸の前で握りほんのりと頬を染める。


二人で選んだ結婚指輪は当然お揃いの物なのだが、イザークの指輪がなんの変哲もないシルバーのリングなのに対し、キラの指輪には小さな宝石が1粒埋め込まれていた。
イザークがキラにも内緒で施していたそのアレンジは、慌しく結婚をする事になってしまった事に対する彼なりの詫びだ。
それを聞いた時はもちろん嬉しかったけれど、やはり貰うばかりでは気が引ける。
なにより、この1粒の宝石が彼の想いを表しているというのなら、自分はいくつ付けてあげても足りないくらいなのだから。
その時は何も言わず大人しく受け取ったキラだったが、密かに1年目の結婚記念日にはイザークの指輪にも内緒で宝石を付けておこうと計画していた。
問題は、彼がいつも首から提げている指輪をどうやってこっそり入手するかなのだが。


それはさて置き。
甘い香りが漂うキッチンの中で一人幸せに浸っていたキラは、玄関から聞こえてきた扉の開く音にハッと我に返った。
続いて聞こえてきた「お帰りなさいませ」というメイド達の声に彼女は慌ててキッチンを飛び出す。
玄関ホールに繋がる扉をくぐると鮮やかな赤が目に飛び込んできた。

「イザーク!」


嬉しさに弾む声で名前を呼べば、玄関先でメイドに迎えられていたイザークが顔を上げた。
駆け寄るキラを見て小さく笑う。

「いま帰った」

「お帰りなさい。お疲れ様でした」


長く厳しい任務から戻ってきた様子など微塵も窺わせる事のない、普段と変わらない彼の姿に安堵の息をつく。
軍人という職務が危険である事は重々承知しているものの、やはり不安な気持ちを拭い去る事は出来ない。
送り出す時は本当につらいけれど、こうして無事に帰ってきた姿を見ると心から安心する。


「長い間留守にしてすまなかった。変わりはないか?」

「うん」


そんな何気ない会話も久しぶりに交わすものだと思うと嬉しくて、満面の笑みを浮かべたキラはイザークから彼愛用のアタッシュケースを受け取る。
なんでもキラの母親がいつもそうしていたとかで、「仕事から帰ってきた夫の鞄を受け取るのは妻の役目」と考えている彼女はメイド達にさえその役目を譲ろうとはしなかった。
なんとも可愛らしい新妻の主張にはメイド達も苦笑して引き下がるしかない。


「いい匂いがするな」


小さく鼻をひくつかせたイザークが呟く。
キッチンから漂う甘い香りは玄関ホールまで届いていた。

「ケーキを焼いてたの。今ちょうど出来上がったところ」


彼の後について階段を上りながら答えると、肩越しに振り返ったイザークが小さく笑った。

「いいタイミングだったな。腹ペコだ」

「もしかして、朝ごはん食べてないの?」

「ああ」


プラントに到着したのが朝という事もあり朝食を食べそびれていた。
他のメンバーは食事をしてから帰ると言っていたのだが、シャトル事故の一件もありキラが心配だったイザークはその誘いも断って真っ直ぐ家に帰ってきたのだ。
帰り際、ディアッカやラスティーからは散々冷やかされたりもしたが、バレてしまったのならいっそ開き直った方が楽だと決めて、「貴様らは淋しく慰めあっていろ」と強気の捨て台詞を残してその場を後にした。
その時ちらりと目にしたアスランの苦笑が頭をよぎり、イザークはそれを追い払うように軽く頭を振った。


「ケーキだけじゃお腹減らない?何か作ろうか?」

「いや、ケーキでいい」


二人でお茶にしようと誘うとキラが嬉しそうに笑った。


「じゃあ用意してくるね!」


キラは先ほど受け取ったはずの鞄を再び彼に返して、パタパタと足音を響かせながら階段を駆け下りていく。
まるでスキップするような軽い足取りでホールを横切る後ろ姿に、イザークの顔に自然と笑みが浮かんだ。
キッチンから聞こえてくるメイドと楽しげに話すキラの声。
カチャカチャと陶器がぶつかり合う小さな音。
ケーキの甘い香りに混じって広がる紅茶の香りが風に乗って屋敷中を満たしていく。
久しぶりに帰った我が家は母と二人きりだった頃よりもずっと明るく賑やかだ。
以前の自分なら煩いと眉を顰めていたかもしれないけれど・・・。


「こういうのも、悪くない」


小さく肩を揺らして呟いた彼は、鞄を抱え直すと階段を上る。
あちこちに、小さな幸せが満ちていた。

******

真っ白なクロスを敷いたテーブルの上には同じように真っ白なティーセット。
中央に置かれた大きな3段スタンドを取り囲むように色とりどりのお菓子が並ぶ。
ケーキだけのはずだったお茶会も用意を始めるとそれだけでは済まなくて、結局、アフタヌーンティーよろしく大量の食器がテーブルに並ぶ事となった。
サンドイッチにスコーン、マフィンやタルトが乗せられた3段スタンドの一番上には、焼き上がったばかりのキラお手製のパウンドケーキが鎮座していた。


「母上はどうした?」


訊ねながらイザークはパウンドケーキに手を伸ばす。
マナー違反だと分かっていても最初に愛妻お手製のケーキへと手が伸びてしまうのは仕方がないというもの。
ようは楽しくお茶が飲めればそれで良いのだ。
キラが慣れない手つきながらも一生懸命に淹れた紅茶の味は、まあ、ご愛嬌だ。
最初の頃に比べればかなり上達したし、薄かったり渋かったりとコロコロ変わる味も、彼女が頑張っている結果だと思えば逆に愛しくもある。


「エザリア様はお忙しいみたいで、しばらくは帰ってこれそうにないって」

「そうか・・・」


返ってきた答えに、イザークが彼にしては珍しくふっ疲れた息を吐く。
地球軍が秘密裏に造っていたモビルスーツを奪取する事は出来たが、その親玉とも言うべき新型艦には残念ながら逃げられてしまった。
そのせいで評議会も慌しいのだろう。
早々に決着をつけたかったが、あと一歩という所まで追い詰めたものの結局地球への降下を許してしまい、イザーク達も一時的に帰還せざるをえなかったのだ。


「残念だね。久しぶりに一緒に食事が出来ると思ったのに・・・」


なかなか顔を合わせる機会のない親子を心配しての言葉だが、本当は呟いた彼女自身が一番残念に思っているに違いない。
イザークもエザリアも仕事があるためなかなか家に帰ってくる事も出来ず、家族揃っての食事はもういつが最後だったのかも思い出せない。
一人留守番をしているキラがどれだけ寂しい思いをしているかなんて、考えなくても分かろうというものだ。
おそらく事のほかキラを気に入っている母も同じように寂しい思いをしているのだろうが、彼女の場合、その寂しさがストレスとなって周囲への八つ当たりに変換されてしまうのが少々問題だった。
可愛い嫁と一緒にゆっくり過ごす時間もないと、目くじらを立てて部下達に怒鳴り散らす母の姿を想像し肩を竦める。


「仕方がない。それが母上の仕事だ。それより・・・・・いつまでもそんな呼び方をしているとまた母上が拗ねるぞ」


カップを運ぶ唇に笑みを浮かべて言えば、キラは「あ」と小さく声を上げて口許に手を当てた。
先程の「若奥様」同様に、いまや姑となったエザリアを「お義母様」と呼ぶ事も、キラがなかなか慣れることが出来ないものの一つだった。
ついうっかり名前で呼んでしまうその度に「いつになったら『お義母様』と呼んでもらえるのかしら」と悲しげな表情をする彼女は、可愛い嫁に「お義母様」と呼んでもらうのが夢だったらしい。
もっとも、しきりに照れながら言い直すキラの姿を見るのも彼女の楽しみではあるようだが。


「まあ、無理をするような事でもないしな。ゆっくり慣れていけばいい」

「うん、頑張る。それで・・・・イザークのお休みはいつまで?」


僅かな期待を滲ませるその質問には少し答えづらい。


「明後日までだ」

「たったそれだけ・・・?」

「すまない・・・」


途端、しゅんと肩を落とす姿には他に言うべき言葉が見つからなかった。
作戦準備から決行、その後の追撃と長引いた今回の作戦のせいで、イザークは実に1ヶ月近く家に帰れなかった事になる。
同居をしているにもかかわらず単身赴任をしているような気にさせられるのは、恐らく自分の気のせいではないはずだ。
そのうえ久しぶりの休暇がたったの3日とあっては、キラが表情を取り繕うのも忘れて項垂れてしまうのも無理はない。
だから―――。

「本当にすまない。そのかわり明日はどこか食事に行こう」


だから、前々から考えていた事を伝えたら、顔を上げたキラが大きな瞳をぱちりと瞬いた。

「どうせ母上も帰っては来れないんだ。たまには二人きりで出掛けるのもいいだろう?」


カップを口に運びながら器用に眉を動かして見せると、キラはきょとんとした表情で見返してきた。

「どうした?嫌か?」

「う、ううん。行く・・・行きたい!」


テーブルから身を乗り出すような勢いで、ようやく明るい笑顔を見せたキラが頷いた。

「決まりだな」

「いきなりキャンセルなんて無しだからね?約束だよ!」


久しぶりの約束が嬉しくて声を弾ませるキラがイザークに向かって小指を差し出す。
一瞬なんの事か分からずに瞳を瞬いたイザークは、次の瞬間ちらりと室内に視線を走らせた。
タイミングが良いことにメイドはお茶のお替りを淹れに行っていて(あるいは気を利かせたのかもしれないが)部屋の中は二人きり。
イザークはしばしの逡巡の後にキラの指に自分の指を絡めた。
「指きりげんまん」を歌うキラの声に合わせて、まるで小さな子供のように指きりをする。
最後まで歌い終わって、離れた指のぬくもりに照れたように頬を染めるキラは本当に嬉しそうに笑うから。


冴えた輝きを放つブルーの瞳が、春の日差しに溶ける氷のように穏やかに微笑んだ。



【12】

かっちりとした衣装に身を包んだボーイが手を触れると、見た目にも重そうな分厚い扉は、けれど不思議なことに音もなく静かに開かれる。
目に優しく馴染むオレンジ色の灯り。
耳に心地よい静かな音楽。
寄せては返す細波のように密かな人々の話し声。テーブルに置かれたキャンドルの炎が小さく揺れるその度に、壁や床に映るいくつもの人影がまるで影絵のように不思議な動きを見せていた。

「いらっしゃいませ」

まだ若い二人連れに向かってウェイターは丁寧に頭を下げた。

「予約をしていたジュールだが」
「はい、承っております。お待ちしておりました」

教育の行き届いているウェイターは、自分よりも一回りは年下の少年少女にも丁寧な対応を崩す事はない。
「コートをお預かりいたします」という言葉に、些か緊張気味のキラが慌てて着ているコートを脱ぎ始めた。
あたふたとコートを脱ぐキラの姿に、彼女の後ろに回ったイザークが自然な動作で脱ぎかけのコートを受け取った。
自分の物と一緒に何事もなかったようにコートを渡す後ろ姿に、キラは驚いたような感心したような息を吐いた。

(イザークって・・・王子様みたい)

普通の人がやれば無理をしているように見えるキザな動作も、何故かイザークがやると自然だし不思議とはまる。
それを一言で言い表すのならまさに「王子様」。
ふふっと笑みを浮かべると首を傾げたイザークが「なんだ?」と聞いてきて、「なんでもない」と答えたキラは彼と並んでウェイターの後について歩き始めた。


******


地表から宇宙港へと繋がるシャフトタワーにはいくつかの商業施設が置かれている。
宇宙に浮かぶ人工建造物を支える巨大なその柱は、砂時計のような形をしたプラント内部を端から端まで伸びていて、回転軸シャフトの両端にある宇宙港への入り口にもなっていた。
当然、他のプラントへ移動する人達はそこに集まり、人口密集地は商業の基盤になる。
そのため一部のフロアを商業用スペースとして開放しているのだ。

今回二人が訪れたレストランもそんな空間を利用して作られた店で、タワーの中でもかなり上層に位置している。
更に数フロア上にある展望台と並んでプラントの中でも人気のスポットだ。
そして二人にとっては思い出の場所でもあった。



「わぁ、綺麗!」

案内された席はすぐ横に大きな水槽があり、色とりどりの熱帯魚が尾ひれを揺らしながら優雅に泳いでいる。
歓声を上げたキラがガラスに手を翳すと、餌をもらえると思ったのか、熱帯魚が一斉に彼女のほうへと寄ってきた。

「見て、イザーク」

メニューを広げて見せるウェイターに気付きもせず、キラは自分の指の動きを追って泳ぐ熱帯魚の姿に喜んでいる。
そんな彼女にイザークは苦笑する。

「キラ。まずは魚よりもメニューを見ろ」
「え?・・・あっ・・・す、すみません!」

メニューを持ったまま待っているウェイターに気付き慌てて謝る。
いつまでたっても抜ける事のない子供っぽさは時々自分でも嫌になる。
赤くなった顔を隠すように広げたメニューを覗き込み、結局ウェイターに勧められるままレストランのお勧めとされている料理を選んだ。

料理が運ばれてくるまでの待ち時間も話をしていればあっという間だ。
イザークは普段の生活の中では仕事の話を一切しない。
今だって二人の会話は軍や戦争とは何の関係もない、今朝咲いたばかりの花のことや出てきた料理の味について。
メインに出てきた子羊のローストは、高級料理を食べ慣れていないキラに言わせれば「炭火焼き鳥みたいな味」らしく、それを聞いたイザークが珍しく声を上げて笑った。

「・・・・僕、変なこと言った?」
「い、いや・・・、そんな事は・・・・、っ」

こみ上げてくる笑いに声を詰まらせるイザークは、ソースを拭き取る振りをして口許をナプキンで隠すのが精一杯だ。
最近は食事をするにもこんな感じで、以前はまるでそうする事が義務であるかのように食べていた食事が、キラと一緒に食べるようになってからは栄養摂取だけが目的じゃないと思えるようになった。
それがとても嬉しくて、ほんの少し気恥ずかしくて。
ぷくりと頬を膨らませているキラに謝りながら、お詫びに肉を一切れお裾分けした。



「どうしたんだい?」

綺麗にルージュをひいた唇に小さな笑みを浮かべた連れの姿に、男は手に持ったワイングラスを軽く揺らしながら訊ねた。

「あそこ。とっても可愛いカップルがいるの」

そう言って微笑んだ彼女が目線で示した方を見ると、どう見ても10代半ばといった感じの二人が楽しそうに食事をしていた。
短い髪のサイド部分を綺麗に編み込んだ少女の向かい側。
口許に微笑を浮かべて少女の言葉に相槌を打つ少年を見て男は首を捻った。

「あの少年、どこかで見たような・・・」
「ええ。エザリア・ジュール議員のご子息よ」

くすりと笑って告げると男が納得したように頷く。

「なるほど・・・良く似ている」
「彼女ご自慢の一人息子よ。お相手の女の子は初めて見るわ」

視線の先では、よもや自分が話題になっているとは知らないであろう少女が、目の前の料理と格闘している。
少年に比べると些か拙いナイフ運びの少女は、なんとかフォークに乗せたつけ合わせの野菜を口許に運ぶ途中でポロリと落とし、動きが止まってしまう。
そんな少女の姿に少年がまた笑い、赤い顔で頬を膨らませる少女に向かって「悪かった」と言うように手を上げている。

「ははっ、可愛いじゃないか。彼の恋人かな?・・・我々のように」

ワインを手に片目を瞑り、意味ありげにそんな事を言う連れに肩をすくめてみせて。

「さあ?・・・どうかしら」

綺麗な金の巻き髪を指に絡めた彼女―――アイリーン・カナーバは、少し離れた席の少年少女を眺めながら楽しそうに囁いた。

written by すみっこ:秋津るの様

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UpData 2006/06/21
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