イザークとキラちゃんの関係が泥沼化していく中、アスランの猛アタック攻撃が!!
どうする?キラちゃん。



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軍服の婚約者16〜20
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※ ※ ※
16
※ ※ ※


「ねぇ、アスラン。僕、一人で平気だから。軍務に戻ってよ。」

遅い昼食を摂り終えた後しばらく。
まだ熱の下がらないキラは、布団の中でぼ〜っと、傍らのアスランを見つめていた。
アスランは、時々キラのおでこから冷却シートをはがして、新しいものをはってくれたり、汗をぬぐってくれたりする。
水はいらないかとか、りんごを持ってきてあげようかとか、それはもうかいがいしいまでに世話をしてくれて。それにキラは、何だか嬉しいような恥ずかしいような、悪いような、そんな気分になった。

ついつい、これがイザークだったなら…なんて考えそうになって、ぶんぶんと首をふる。
アスランはどうしたの、とにこやかに首をかしげるだけだった。


「だって、悪いよ。僕のせいでアスランの今日の日程、全部潰れるよ。」

「キラは病人なんだから、そんな事気にしなくてもいいよ。それに、ディアッカたちからも頼まれてるし(イザーク除けに)…。」

「でも…。」


言いかけると、アスランの手がぴたりとキラのおでこにあてがわれる。
自分の額にも手を当てて、くらべるようにしばらくそうしてから、まだ熱いね、と言った。
はぁ…と、キラの口から吐息が漏れる。
目元まで布団に潜って、アスランを恨めし気に見れば、彼はにっこりと優しく微笑んでくれる。その笑顔があんまりに綺麗だから、キラは余計に熱が上がる思いがした。


「アスランは本当に優しいんだね…。ラクスとはすごく幸せな夫婦になるんだろうね。」


布団に顔半分隠れたまま、アスランの顔かたち全てをまじまじと眺めて、ポツリと呟く。
そのキラの瞳を、アスランは眉を顰めて見やった。

「初めて会ったときにも言ってたね。そんなに幸せそうかな、おれたち。」


抑揚のない声で言うと、今度はキラが眉を潜める。
何を言っているのか分からない、とでも言うように細められた紫の瞳を、アスランは真剣な眼差しで見つめ返した。


「しあわせ…じゃ、ないの?」


くぐもった声が、布団の下から漏れてくる。
アスランはベッドの端に頬杖をついて、はぁ、と溜息を一つついた。

「所詮親が決めた婚約者だよ。親…というより、世間かな。俺の父は国防委員長、彼女の父は最高評議会議長。政略結婚だよ。」

「……嫌なの?」

「…………嫌とか言える立場じゃないしね。」

「ラクスのこと、嫌い?」

「そうじゃないけど。俺もイザークの言う事には一理あると思うよ。将来伴侶になる相手は、やはり自分で選びたいと思う。ラクスも、本当はそう思ってるんじゃないのかな。」


難しい顔になったアスランを、キラは目を瞬かせて見つめる。
まるんで異文化でも学んだような、そんな不可思議な表情を目に宿すキラに、アスランは苦笑した。


「意外?テレビでは、そんな事やらないからね。」

「あ……えと…うん。でもラクスは…お祝いを言ったら、喜んでたけど…。」

「彼女は賢いひとだから。自分の役割というものを素直に受け止められるんだよ。プラントのため、ザフトのため。でも決して自分達の為なんかじゃない。」


アスランの空いていた片方の手が、布団の端からはみだしたキラの髪に触れる。
指先で撫でて、毛先を指で弾いて。猫の子がじゃれるように、薄く笑みながら柔らかい髪を弄んでいた。

「俺はもっと…さ、運命的な出会いをして相手を見つけたいと思うよ。キラとの出会いのように。」


長い髪を自分の口元に引きよせて、そっとキスをすると。
キラが驚いたように身をすくませるのがわかった。

「キラは、そう思わない?」


アスランは、自分の中で最高のランクに入る笑みで、キラに笑いかける。
そうして、キラの心が自分に傾くように、口説いているつもりだった。
これまでの人生の中で、ひとを口説いたことなどないけれど、どうすれば女性が喜ぶのかはよく分かっているつもりだ。
きっとイザークは、こういう事に関しても自分に負けている。
あの性格からは、女性の前に膝をついてキス…というシチュエーションなど思いもつかないだろう。
内心優越感にひたりながら、こちらを見つめてくるキラに、アスランは確かな手ごたえを感じていた。

「よく分からない…。でも僕、イザークさんが嫌ならいいんだ。仲間でも。近くにいられれば、それでいい。」

キラは薄く笑って天井を見つめる。
その瞳は、とても淋しそうにどこか遠くを見ていて、アスランは急にやるせない気持ちになった。

「キラは、どうしてそんなにイザークに会いたかったんだ?軍人になってまで…。俺にはそっちの方が理解できない。ただの親が決めた婚約者だろ?」

ふと思い付いた疑問を口にすると、キラはまた、薄く笑う。
そして、伺うようなアスランの視線に目を合わせて。
泣き出しそうな顔で、でも幸せそうに笑った。


「だって僕、イザークさまの為にコーディネイトされて生まれてきたんだもの。」


キラの語った事は、アスランの想像を遥かに上回る衝撃的なものだった。



-----イザークの、ために……

アスランは、キラが何を言ったのか一時考えて。
それから少し、笑った。
ぎこちなく、不自然に。
そうするしか、どういう表情をしていいのか、分からなかった。

「イザークの、ために……?それってどういう…。」


掠れた声で聞くと、キラはアスランの袖を引いて、しぃっと人さし指を自らの唇に押し当てた。

「誰にも言わないでね、アスラン。僕も半年前まで知らなかったんだ。アスランもラクスと遺伝子が対になってるんでしょ。そのアスランだから、言うんだからね。」


懇願するように何度も何度もそう言って、キラはゆっくりと身体を起こす。
アスランと距離が縮まった分、声を小さくして、ディアッカにも言いかけて言えなかった事をアスランに打ち明けた。

「遺伝子が対って…でもおれたちのはそういう風にコーディネイトされたわけじゃない。偶然だぞ。それじゃあ、キラがイザークに合わせて作られたっていうのか?」


キラが話しを始める前に、アスランは顔を険しくして声を荒げた。
いくらコーディネイト技術が発達しているとはいえ、それは一個人の為に利用していいわけがない。
一個人のために、それに見合う遺伝子操作を行うなんて。
それではまるで道具のようだ。

「や、やだな、そんな言い方しないで。違うの、作られたとかじゃなくって…ちょっといじっただけ。」

「それを作られたって言うんじゃないのか?」


急に怒り出したアスランを、キラは必死になだめようと肩にすがる。
誤解だと言って立ち上がろうとするアスランの腕をひけば、アスランは素直に椅子へと座りなおした。



キラもエザリアと出会うまで知らなかった話だが。

キラの両親であるヒビキ夫妻は、プラントでコーディネイターの人口受精に関与していたそうだ。
コーディネイターは受精卵の着床率がナチュラルに比べてはるかに小さく、普通の方法では妊娠しにくい。
両親からそれぞれ卵子・精子を取り出し、人工的に受精させるいわゆる試験管ベイビーが一般的で、彼等はその研究と施行に携わっていた。


ヒビキ夫妻がエザリアと知り合ったのもちょうどその頃だったらしい。
彼女も患者のひとりに過ぎなかったが、同じく不妊症であったヒビキ婦人とよく気があって、親身に話をきいたという。
それに加え、エザリアの持つ銀色の髪色というものは珍しく、意図して作り出すのは難しかった。
色素を抜けば白になるし、色をまぜれば彩色になってしまう。
ヒビキ教授はそれに多大な感心をよせ、夫妻は共にエザリアと深く交流があったそうだ。

その後エザリアは無事に妊娠したが、その子供に遺伝子上の欠陥が見つかった。
子供にというよりも、エザリアの遺伝子に、だ。
エザリアは一世代目のコーディネイターであった為、遺伝子を一から組み換えられている。
その際に何らかのアクシデントがあったのだろう。
彼女の遺伝子はわずかに傷つき、問題はその傷が子孫に脈々と受け継がれ、後には深刻な問題になるという事だった。


エザリアの子供自体に何も問題がなくとも、後々その子、またその子となるとわからない。
遺伝子の傷が広がり、欠落し、奇形児や未熟児が多くうまれることになるかもしれないという、深刻な事態を抱えていた。
ヒビキ夫妻はそれを心配し、今現在腹の中にいる子はおろし、新たに受精の段階でコーディネイトしなすべきだと提案したが。
エザリアはそれを了承しなかった。
そのままイザークを生み、育てる事を決意して。
イザークに受け継がれた遺伝子の傷をカバーできる遺伝子を探して欲しいと、ヒビキ博士に依頼したのだった。

無論、無数にある遺伝子パターンから、そのような遺伝子を見つけるのは不可能に等しい。
手を尽くし、研究を重ね、何とか度重なるコーディネイトなくして欠陥を補える方法はないかと、探した。

まさにその最中だったのだ。
不妊症のヒビキ夫人が人口受精によって子供を授かったのは。
そして、その受精卵の中に遺伝子上の欠陥が見つかったのは。

偶然、だった。
恐らく、エザリアの事がなかったならば、彼等はその受精卵を破棄し、健康な受精卵を再度生み出しただろう。
しかし偶然。
その遺伝子が、傷付いていたがために。
女の子であったがために。
ヒビキ夫妻はその子にコーディネイト法を施行する事を決意した。


エザリアの息子が生まれて1年足らず。
彼等の遺伝的欠陥をカバーできうる女の子が、この世に誕生する。
その子はキラと名付けられ、その後成長に問題がないかを見守られながら大切に育てられた。
エザリアの計らいでしっかりした教育と環境を与えられ、すくすくと成長し。
のちに月へ派遣された両親と共にテロに巻き込まれ、発見されるまで3年。

その3年は、エザリアにとっても、キラにとっても。
言葉では言い表せないほどに辛い時間だった。


それらのあらましをエザリアから説明された時。
キラはようやく、自分の生に意味があったのだと、望まれて生まれてきたのだと理解することができた。






ゆっくりと、ゆっくりとそれを語るキラは、泣くのを必死に我慢しているようだった。
イザークも知らないエザリアの血筋のことだったから、キラは言葉を選んで、エザリアの遺伝子云々についてまでは語らなかったが。
ただ、自分には欠陥があって、それがイザークの遺伝子と補い合う事で完全なものになれるのだと、そう言った。


アスランは黙ってそれを聞きながら、床をじっと見つめて。
きっとキラはそれを誰かに吐露しなければいられないほどに、悩んでいるのだろうと思った。
キラにとって、イザークに拒否されるというのは何よりも辛いこと。
自分自身全てを否定されてしまうほどに、悲しいこと。

始終笑ってそれを話すキラに、アスランも合わせて微笑んではいたけれど。
心のうちで、イザークに対して戦線布告をしていた。



※ ※ ※
17
※ ※ ※



一方、ただ一人孤立していたイザークはというと。
単独で施設内を歩き回り、『キラ』を探しまわっていた。
ディアッカやニコルが逃げていってしまってから、彼は彼なりにしらみつぶしに施設を歩き回りそれらしい人影を探したのだが、それがどうにも見つからない。
一般兵卒に声をかけてきいてはみるのに、彼等は一様に口を閉ざして誰も「キラ」について語ろうとはしなかった。

何しろイザークをキラに会わせまいとするディアッカとニコルが、かたっぱしから口止めしてまわっているのだから、誰も口を割るはずなどない。
しまいには、イザークに声をかけられる事を恐れた兵士達が、彼の姿を見ただけでダッシュで逃げていってしまうまでになっていた。

「くそっ…ディアッカめ…。」


こういう時、気心が知れているのも厄介だと、イザークは内心舌打ちした。
ディアッカはイザークの行動パターンを全て理解していて、常に先回りして情報を隠ぺいする。
行けども行けども、既に手をまわされたところばかりで。
それだけに、雲を掴むような婚約者の存在が、余計に気になって仕方がなかった。

ディアッカがそこまでするなんて、「キラ」とは一体どんな女なのか。
イザークの頭からは、当初想像していたような女性像はすっかり払拭され、幽霊のように不確かな輪郭を持つ「キラ」という存在が芽生え始めていた。
あわせて、女医の情報もあたってみるが、こちらに至っては何一つ手がかりがつかめない。職員データを調べてみるも、それらしい存在は見あたらなかった。

何だか、自分だけ蚊屋の外に放りだされている気分だ。
一番手っ取り早い方法として、クルーゼに聞くの唯一確実だったが、
軍務を2日も休み、あまつさえ私事で1日をつぶしている今、とうていあわせる顔もなく。
そんな私情を多望な上司に知られて恥をかきたくはない。
今や立派な紅を着る軍人として、婚約者だの、気になって仕方のない女だの、そんなものに気をとられて本分をおろそかにしている事を思うと、何だか自分が情けなく思えてきた。


込み上げる虚しさと共に、胸をよぎるのは、昨晩の女医の姿。
紫の瞳を大きく見開いて、まるで化け物でも見ているかのように唖然とした彼女の顔が、イザークの目に焼き付いていた。


名前を知りたかった。だから、名前を聞いた。
たったそれだけだったのに、返ってきたのは沈黙と驚愕。
他に自分は何かまずい事でも言ったのか、と思い返してみたけれど、
人にショックを与えるだけの言葉は吐いていないつもりだ。
何しろイザークは、あれだけ気を使って人と話した事などなかったのだから。

正直なところ、話題に困った。
あの場の沈黙は、居心地の悪いものではなかったけれど、そのまま黙っていたのでは意味がない。
せっかく、まだ具合の悪いフリをしてまで医務室に残っていたというのに、このまま黙っていたらまた眠ってしまうかもしれない。

だから当たり障りもなく、出身や経歴について話をふったわけだったが。
思いもよらない彼女の経歴に驚き、つい立ち入ったことまで聞いてしまった。
それが彼女の何かに触れてしまったのだろうかと思う。
テロで両親をなくしたと言った彼女は、話しなれたように平然としていたけれど。

実際心の中では辛い思い出に涙を滲ませていたのではないだろうか。
考えてみてば、彼女は話を切り上げたがっていたような節があった。それでもなお知りたがった事が、うっとおしかったのかもしれない。

……そこまで考えて。
イザークは、休憩室にあった自販機をおもいっきり蹴り付けた。

「何で俺が…っ…!」


こんな事にまで気を巡らせなければならないのか。
イライラと気持ちが逆立って、鬱憤晴らしとばかりにもう一度自販機を蹴ると、中からじゃばじゃばと噴水のようにコーヒーが溢れてきた。
おもむろに近くに積んであった紙コップにそれを継ぐと、口へと運ぶ。
湯気のあがる液体は苦く、頭の中のもやもやを吹き飛ばしてくれるようだった。
イザークは、もう片方の手にもコーヒーをついだ紙コップを持って、その場を後にした。

本当に不本意ではあるが。
ここはアスランを尋ねて婚約者にだけでも会うしかない。
本当に本当に、不本意ではあるけれど。

珍しくディアッカばりの大きな溜息をひとつつき、イザークは宿舎の方へと歩き出した。
自販機を弁償してくれる人間は、今はそこにいない。


『キラ』の事に関しては揃って口をつぐむ者達も、アスランの事となると簡単に口をわった。
常日頃からアスランに勝負を挑んでいたイザークである。
声をかけられた者達も、まさかそれが『キラ』に結びついているものだとは気付きもせず。
相も変わらずイザークがアスラン相手に、何らかの勝負でも挑む気なのだろうと、誰もが思ったらしい。

目撃情報は次から次へと集まり、
「昼間食堂に二人分の食事を取りにきた所を見た」だとか、「タオルを持って走っている所を見た」だとか、「りんごはないかと尋ねられた」だとか。
嫌というほど事細かに情報が集まる。
それだけ一般兵たちのアスランへの注目度が高いのかと思うと、癪にさわったものの、今はそれも好都合。


いろいろ目立ってしまう人物というのは行動を隠せなくて不便なものだな、とイザークは聞き込みをしながらほくそ笑んだ。
それと平行して、イザークもかなり目立っているわけで。
イザークの行動も全て、ディアッカやニコルに知られているという事は、本人には気付きようもない。
しかし、ディアッカも、まさかイザークがアスランずてで『キラ』を探すなどとは考えていなかったのだろう。
今はディアッカやニコルがイザークの行動を把握するよりも、彼がアスランの情報を得る速度の方が、はるかに早かった。


「え?アスラン・ザラ?彼なら、……ほら、あそこに……。」

そして。
手にしていたコーヒーがすっかり冷めきってしまう前に。
イザークはとうとう、『キラ』への手がかりとなる人物を、その視界に据えたのだった。



宿舎1Fの広いフロアの中央。
走り去るアスランの姿がある。
紅の軍服を着くずして、髪をなびかせ疾走するアスランは、随分と慌てているように見えた。
顔は蒼白で、表情はまさに必死の形相。
そして、腕の中には毛布の固まりを抱いている。
ぐるぐるに巻き付けられた毛布から、白い足がちらりと覗き、かろうじてその中のものがひとである事がうかがえた。


あまりに早く行き過ぎてしまったため、イザークにはアスランを詳しく観察している余裕はなかった。
それはアスランも同じようで、わずか10mほどしか離れていないイザークの姿に気付きもしない。そのまま広いエントランスを走り抜け、軍施設の方へと消えていったアスランを、イザークは、しばし見送ることしかできなかった。
これまでに、あんなに取り乱したアスランの姿を見たことなどあっただろうか。
呆然と遠ざかってゆくアスランの後ろ姿を見送って。

イザークは、見てしまった。
アスランの抱く毛布の固まりに、だらりと力なく垂れた細腕と長い髪がゆらめいているのを。




広い施設の長い廊下をカッカッと力強い足音が通り過ぎてゆく。
日は傾いて、窓、窓、窓の通路から赤い日が差し込んでいた。
毛布をしっかりと抱いたままのアスランは、強く靴を鳴らし、走る。
白い手と、白い足先が毛布の中から飛び出して、ゆらゆらとゆれていた。

イザークは、かろうじてアスランが確認できる程度の距離から、それを追い掛ける。時折距離をつめすぎて、立ち止まり。また追いかけて。手の中に紙コップを持ったままだという事にも、気付かなかった。

唐突に足音が止まり、ガンッというドアを蹴る音がする。
スライド式の扉を蹴るなんて、馬鹿なことだと思ったが、それがアスランの焦りを如実に語っているようで。
イザークは、曲り角の壁に隠れて、アスランの様子を伺った。
ガンガンッと、何度かものを蹴り倒す音がする。
アスランの入っていった場所を確認すると、そこは医務室だった。
イザークが今朝までずっといた、医務室。
アスランが完全に中へと姿を消したのを確認して、イザークはそっと扉の前へ立った。中へ入ろうかと迷ってコンソールに手をかざそうとすると、未だ両手に紙コップを握ったままなのに気がついた。
片方を床に置こうとして屈み込むと、ボソボソと中から話声が聞こえてくる。


『よかった、イザークはもういないみたいだよ。』

『…………』

『そう、誰もいない。薬を飲んだ方がいい。おとなしくしてて?』

『………』

『馬鹿だな、病人はそんな心配する事ないんだよ。』


どうやら誰かと話をしているようだが、肝心の相手の声はあまりに小さく、イザークにはアスランが独り言を言っているようにしか聞こえなかった。
きっと話をしているのは、アスランが抱きかかえていた人間だろうと想像できる。
毛布にくるまれた、小柄な………女。
ちらりとしか見えなかったが、茶色の髪色だったと思う。
あれが、自分の婚約者という女なのだろうか。


イザークは、入るタイミングを失った気がして、そのまま扉の前に立ちすくんでしまった。
中からは、ゴソゴソと棚を漁る物音と、アスランの独り言。
いくら耳を澄ましても、話相手だろう少女の声は聞こえてこなかった。
アスランの様子から、相当弱っているらしい事が感じられて。
イザークは心配をするという事以前に、会った事もない、自分が否定した婚約者に対してどうするべきなのか迷った。


『………キラ。』


アスランが呼んだ名前に、ギクリとする。
その優しい声音にも。
鳥肌が立つような、甘い声音は、仲間に対するものではない気がした。


『………』

『……ここにいるよ。』

『……………』

『…うん、側にいるから。眠ったほうがいい。』

『……』

『ほら、薬飲んで。熱が上がってるんだ、仕方ないよ。すぐドクターを呼んであげるから…。』

『………』

『…もう眠って。』



声が、徐々に小さくなる。
イザークは、扉の前で呆然と立って、足もとに置いた冷め切ったコーヒーを見つめ固まっていた。
アスランの言葉は、少なくとも『キラ』に好意をよせているものだと伺える。
そしてどうやら、『キラ』もそれを甘んじてうけているようだ。


イザークは、扉の前に屈んだ体勢のまま、聞き耳をたてて。
ざわざわと胸のうちがざわめくのを感じた。
アスランが、好意を寄せている。
別に、何てことはない。アスランがどんな女に言い寄ろうが、婚約者がいる身で…とはいうまい。そんな事は、嫌味のネタにはすれ、所詮自分には関係のないこと。

しかし。
相手は、自分の『婚約者』と称される女だ。
イザーク自身、婚約は解消すると決めて『キラ』を探してアスランを追いかけてまで来たわけだが。


まさかこんな展開になるとは思ってもみなかった。
アスランが『キラ』に好意を寄せている。
まだ関係が切れていない、自分の婚約者に。
それではまるで。
アスランに奪われたようではないか。

先日、ディアッカたちに「欲しければくれてやる」と言ったのを思い出す。
あの時は、本当にそういう気持ちがあった。
自分は受け入れるつもりがない。
だから、ディアッカやニコルが『キラ』と話をしようが気をひこうが、一向にかまわない。
そう、たしかに思ったから言ってやった。
だが。

……………アスランは、駄目だ。


アスランにだけは、何を譲るわけにもいかない。
例え自分の残したパンのひとかけらたりとも、アスランにやるのだけは、絶対に嫌だった。 ましてや、相手は自分の婚約者。
それをアスランに。
忌々しきアスラン・ザラに、婚約を解消してもいないうちから手を出されるなんて。
それだけは、イザークのプライドが許さなかった。

『……キラ、目を閉じて…。』


無気味なほどに優しい声が、医務室の中から聞こえてくる。
加えてボソボソと一言ニ言、はっきり聞き取れないほどの声があって。
話し声がプツリと、途切れた。

それを合図に、イザークは医務室の中へと足を踏み入れていた。



※ ※ ※
18
※ ※ ※



「アスラン!」

鋭い声が医務室に響き渡ったのは、キラが丁度眠りについた直後だった。
コツコツと靴音が乱暴に侵入してきて、床に倒れていたものたちを蹴る。
その大きな音に驚いて、うとうとと微睡んでいたキラの虚ろな目が、反射的に大きく見開かれた。

アスランは思わず舌打ちをしそうになり、かわりに背後を振り返る。
立ち上がったと同時にキラを囲うカーテンをさっと閉めて、庇うように前へ立った。

「相変わらず騒がしいな、イザーク。何か用でも?また気分が悪くなったとか言うんじゃないだろうな?」


眉を釣り上げ、挑戦的な眼差しを向けたアスランに、イザークは少しばかり驚く。
いつも、どんなに皮肉や揶揄を言っても憎らしいくらいに澄ましているアスランが、こんなにもあからさまな敵意を向けてくる事など、今までになくて。
それが今、『キラ』のいる場で発揮された事に、驚きと共に苛立ちが沸き起こった。


「貴様にじゃない。キラ……に、用がある。そこにいるんだろうが。」


手に持っていた飲みかけのコーヒーを、壁際のデスクに置いて歩みを進める。
すると、アスランもツカツカと歩いてきて、丁度イザークの真正面へ立ちふさがった。

「見て分からないか?彼女は今、具合が悪いんだ。何の話かは分からないが、随分と無神経だな、イザーク?」


少し足幅を広げたアスランは、腕を組んで上目遣いにイザークを牽制する。
その殺気すらも感じられる瞳を睨み返して、イザークも腰に手をやった。

「何故貴様がそれを言う?俺とそいつの事だ。貴様にどうとか言われる筋合いはない。」

「お前こそ、キラに何か言う権利なんて、ないんじゃないのか?昨日までは婚約者だったか知らないけど、今はもう違うんだろう?」


口元に嘲笑すら浮かべ、アスランはちらりとベッドの方に視線をやって、またイザークを見る。
彼の背後では、ゴソゴソと身じろぐ音が聞こえただけで、それ以上の反応はなかった。

「その話は本人とする。貴様は邪魔だ。どけ。」


顎で指図してもアスランが動く事はなく、それどころかますます視線を鋭くするばかり。
そうまでされると、逆に引く事などできず、イザークもアスランが動くまで対峙する覚悟を決めた。

「彼女と話をする必要なんて、もうないよ。キラはもう、君とは只の仲間でいいって言ってる。」

「そんな事、貴様から言われたくもない。本人が言うべき事だろうが。」

「分からず屋だな…。」


アスランは苛立って、体勢を変える。
イザークもそれは同じで、全く譲ろうとしないアスランに、掴み掛かりたい衝動にかられた。

「おい、お前………キラ。」


このままでは、埒があかない。
イザークは思い切って、ベッドの住人である自分の婚約者へ、話をふった。
冷めた声で呼び掛けると、ピクリとカーテンが波打つ。
それに、彼女が目覚めているだろう事を確認して、イザークは目を細めた。

カーテンの中で、話だけを聞いていたキラは。
初めてイザークの口から飛び出した、自分を呼ぶ声に、びくりと反応する。
嬉しい反面、その冷たい声音が恐くて身体が強ばった。
返事をしたいけれど、全身を支配する熱がそれを許してはくれず。
息を短くはいて、そのままベッドに沈んでいた。
キラの返事がないのを確かめて、アスランはまたベッドからイザークへ視線をやる。


「言っただろう?キラは今、病気なんだよ。お前のが伝染ったなんて思いたくもないが、かなり熱がある。分かったら、もう出て行ってくれ。」


どこまでも『キラ』に関して、まるで側近か護衛のような態度を崩さないアスランに、イザークはイライラを募らせた。
まだ会った事もない人間に、病気が伝染るはずもない。
なのに、全てを自分の所為にして、まるで悪者扱いな言われようが、忌々しかった。


「ならば、俺がその女の看病をする。一応、それは俺の婚約者だ。貴様の出る幕じゃない。貴様こそ、出て行ったらどうだ?」

「はは。何を言い出すかと思えば。そんな理屈、通るはずないだろ?キラは俺が看ててあげるから、君はお母上に婚約破棄の申し立てでもすれば?」

「報告はするさ。だがそれは後だ。そいつは俺が看る。」

「婚約者、くれるんだろう?なら、俺がもらうよ。アリガトウ。」

「貴様にやるとは言っていないだろうが。第一、貴様には既に相手がいるはずだ。」

「じゃあ、俺も婚約破棄しようかな。それで丸く収まるんじゃないの。」

「…何?」


一歩たりとも譲らない言い争いは、静かな部屋の中で淡々と進められる。
アスランもイザークも、内に秘めた怒りや苛立ちを表には出すまいと平静を装い、いっそ笑みすらうかべ。
頭に浮かぶ言葉を次々と並べていった。


キラは、どうしていいのか分からず、ただ息を殺して二人のやりとりを聞いている。
イザークが、看病を申し出た時はドキリとさせられたが、アスランの婚約破棄宣言にも驚かされる。何がどうなっているのか分からなくて、くるくる回る視界に気分が急降下していった。

今は何も考えたくないのに。
一人で、心の整理をしたいのに。

生理的か、感傷的なものか、涙がじわりと溢れてきて、枕を濡らした。


「幸い、俺も不本意な婚約だったからね。キラさえよければ、俺は彼女を婚約者にしたいと思う。」

「貴様…国防委員長の嫡男の身で、そんな事が許されると思っているのか…!?」

「それを言うなら、君の方こそだろう。何だってキラはお前なんかの……」


「……アスラン。」



頭に血が昇ってしまったアスランが、漏らしかけた秘密を、キラが静かに遮った。
掠れてしまったその声は、あまりに小さいものだったが、アスランを我に返すには充分で。
途端にアスランは言葉を失ってしまう。
イザークは、それに眉根を寄せて、訝し気にベッドの方を見た。

「も、けんか…しないで……僕、眠いから……。」


ボソボソとカーテンの向こうから漏れてくる声は、変わらずか細い。

「……イザークさまも……僕、あなたの気持ちなんてちっとも考えてなくて……ごめんなさ……」

「キラ、何言ってるんだ。悪いのは横暴なイザークの方だ。君が謝るなんて…。」


一転して優し気な声を出すアスランに、イザークはまた悪寒を感じたが。
途切れ途切れにもれる声に、聞き入ってしまった。

「イザークさま…これだけ、聞いてもいいですか…?」

「………何だ。」

「未練たらしいって思われるかもしれませんが……僕じゃ、駄目、ですか?決められた相手は、嫌…?」

「……………悪いが……。」

「他に、理由でも?」

鼓動が高くなる。
小さな、掠れた、熱っぽい声に。
目眩がするほどの動悸と、身体の奥底から沸き上がってくるような熱に、呑み込まれてしまいそうだった。

イザークは半ば呆然として、『キラ』の声に気をとられ、食い入るように見えないカーテンの向こう側を見つめる。
そうして、催眠術にでもかかったように、口をただ、ぱくぱくと動かしていた。


「…………気になる女が……いる…。」

イザークの小さな告白に、アスランは目を見開いて。
ベッドの中のキラは、瞳を閉じた。

「…そう……ですか……。」


消え入るような声は、途切れて。
あとに、ゴホゴホと咳き込む音がする。

「僕、一人で平気だから……二人とも、出ていって…。」


ぜいぜいという呼吸音が聞こえて後、キラが言った。

「眠いの……一人に、して。」


布団の中に潜り込んで、キラは2度3度同じことを繰り返した。
アスランもイザークも、それに対して何を言う事も出来ずに黙り込む。
しばらくの沈黙のあと、すぅすぅと寝息が感じられてようやく、二人は医務室を出ていった。

言い争う事も、お互いを牽制することもなく医務室を出て、すっかり暗くなった廊下に、ぽつんと立ち尽くす。
気が抜けたようにそうして、それぞれ向かいの壁によりかかった。

イザークは、次第に静まりつつある動悸に胸元を掴み、息を止められたように呆然としていた。


-----イザークさま……


「イザーク……”さま”…?」


ポツリと呟いた自分自身の敬称。
何度かそれを繰り返すイザークの声を、アスランは聞かなかった事にしようと思った。



※ ※ ※
19
※ ※ ※



「……お前ら、そんな所で何してんの?」


消灯時間も過ぎ去った深夜、医務室へやってきたのはディアッカとニコルだった。
アスランとイザーク、キラさえも抜けたクルーゼ隊の2人は、3人の分ものとばかりに押し付けられた雑務をこなし、今し方それらを片付けたばかり。
おまけに、そのおかげで入手の遅れたイザークの動向を知り、ここまでやってきたのだった。
ニコルは随分と疲れた顔をしていたが、ディアッカは日頃(イザークのおかげで)つちかわれた持久力が幸いし、きょろっとしていた。


アスランが医務室へと走り去り、その後をイザークが追って行ったとの情報を得た2人は、目的の人物を見つけるなり唖然する事となる。

照明の弱められた医務室前。
その廊下に幽霊のように佇む、二つの影。
お互いを牽制し、監視するかのごとく向かい合って、それぞれ壁にしなだれ掛かっている彼等は、異様な雰囲気を漂わせていた。


首を半ば項垂れて、目だけをぎらつかせたアスランとイザークは、ディアッカが声をかけたのにも無反応。
返事をするでも、視線を向けるでも、身じろぎするでもなく。
ただお互いに睨み合って、立っているだけだった。

そうなる経緯を知る事のないディアッカとニコルは、首を傾げて顔を見合わせる。
そして、その場にキラの姿がない事に気付くと、今度は医務室の方へ視線を向けた。

「つーかアスラン。キラはどうしたよ?こん中で寝てんのか?」


ディアッカが再度アスランに向き合って尋ねると、まるで今彼に気付いたように、アスランが顔を上げた。
同時にイザークも、我に返ってディアッカを見る。
『キラ』というキーワードに弾かれた彼等は、途端金縛りが解けたように反応を示した。


「何だよ、お前等…気持ちわりぃな…。アスラン、お前キラの看病はどうしたわけ?まさか、イザークにキラを会わせたなんて事、ないよな?」


じっとりと、疑わし気な眼差しを向けたディアッカに、アスランは痛い所をつかれて顔を背ける。
それに驚いて今度はイザークの方に視線が移されると、イザークもバツが悪そうに目を逸らした。

「……どうとればいいんだ?その反応……。」


曖昧なアスランとイザークの態度に首を竦め、もう一度ニコルと顔を見合わせると。
ディアッカは医務室の中へと身体を滑り込ませた。

「あ…。」


アスランが慌てて声を上げる。
ニコルが一瞬アスランを振り返ったが、それ以上の言葉が出て来なかった為に、そのままディアッカに続いた。
彼等が入ってすぐ、閉じられる扉。
アスランとイザークは息を細くして、中の様子を探り取ろうと耳を澄ました。

ディアッカの声が、ボソボソを漏れてくる。
何を言っているのかまでは聞き取る事ができなかったが、ニコルも一言二言、何かを言っているようだった。
その時間は1分か2分。
すぐに出て来ないという事は、キラが起きているという事だろうか。

小さな声が漏れてくるのを聞きながら、アスランは中の様子が気になってやきもきし、自身も中に踏み込みたい衝動にかられる。
が。同様にそわそわとし出したイザークと、先程聞いたキラの言葉に歯止めをかけられ、どうする事もできなかった。


それから何分が過ぎただろう。
何でもない顔をして、ディアッカが出てきた。
ニコルの姿はその後ろにはなく、まだ何かを話している声と、水場の音が聞こえてくる。
扉が閉まり、再び音が遮断されると、アスランとイザークはまたガッカリしたような、冴えない顔をした。


「さぁさぁ、ヘタレくんたち。部屋に戻って休もうじゃないの。キラの事はニコルに任せて、俺達は退散退散。」


2人の稀に見る沈みっぷりに満足したのか、ディアッカがにこやかに手を叩く。そのまま右腕にアスラン、左腕にイザークの首を抱え込み、強引にその場から引き離した。

「ちょっ…ディアッカ!キラはっ…!?」

「離せディアッカ!俺はまだあの女と話が…っ…!!」

「ハイハイ。キラ姫はおたく等があそこで張り付いてると、気が休まらないんだと。しつこい男が嫌われる、って言うでしょ。とっとと寝て、明日から軍務、頑張ってくれよな!お二人さん!!」


どこにそんな元気があるのやら。
ディアッカは、アスランとイザークが腕の中で暴れるのにもびくともせず、上機嫌で彼等を連れ去っていった。


「離せディアッカ!!離せって!!」

「ディアッカぁぁぁぁっっっ!!!!!!!!」



※ ※ ※
20
※ ※ ※



「先日、我が隊に入隊したキラ・ヤマトについてだが…。今朝辞令が下り、別の部隊へ異動する事が決定した。ここの所、何人か不真面目な者がいたようだが、人員が減った分、これまで以上に気を引き締めてもらいたい。---以上。解散!」


そんな、一方的な通知がなされたのは、翌日の朝礼での事だった。


その日は、何日か休んでいたイザークがようやく顔を見せたという事で、本来なら延々と、彼に対する当てつけ、嫌味など、ありとあらゆるお小言がクルーゼの口から出てくる予定であった。
何しろ、イザークの休みは本当に熱を出して寝込んでいた分を除いたとしても余り有るもので、その間イザークが何をしていたかなど、全てクルーゼの耳に入っている筈だったのだから。


1日目は、昼から夕方までディアッカと医務室でサボリ。
夜は熱を出して昏倒。
2日目は前夜に続いてベッドの住人。
それについてはキラから休み願いが出されていて。
3日目は施設内をぶらぶらと徘徊。
自販機を一台壊し、その修理代と始末書も未提出。
どれも、規律正しい軍人にあるまじき勝手な振る舞いだ。


日頃から、人に対する揶揄や皮肉を得意とする隊長が、これまた日頃から彼の頭を悩ませている部下に対して小言を言うには、今回こそ絶好の機会だと、誰もがそう思っていた。
中には、ざまぁ見ろと言わんばかりの視線を向けているものもいたが(アスランを含め)、ディアッカは八つ当たりを覚悟していたし、本人ですら何を言われるかと内心ハラハラしていたのだ。

それなのに、クルーゼの口から出てきたのは、揶揄でも皮肉でもお叱りなどでもなく。
キラが異動する。
たったそれだけの事。

キラが初めて隊員に紹介された時のように、イザークに意味深な笑みを送る……そういう事も全くなく。
クルーゼはそれだけを言うと、さっさとブリーフィングルームを出て行ってしまった。


あとに残されたのは、あっけにとられる紅服×4と、その他の方々。


あまりにもあっけない幕切れに、一同は暫く、クルーゼの言葉通りに解散する事ができなかった。
そして、クルーゼの言葉の意味を理解するまで、数秒。
凍り付いた空気が溶け出すように、兵たちがざわざわとどよめき始めた。


「キラが異動…だって?」


最初に口に出したのは、アスラン。
彼の目は、信じられないとでもいうように見開かれ、イザークの方へと向きを変える。

「まだ3日しかたってねぇじゃん…。昨日話した時、何も言ってなかったぞ…。ニコル、お前夜中までついてたんだろ。何か聞いてないのかよ?」

「知りませんよ。キラさん、ほとんど寝てましたし…。だいたい辞令って言ってたじゃないですか。だったら上からの指示でしょう?」


次にディアッカが苛立った声を上げ、ニコルも不機嫌に声を重ねた。彼等の目が、まるで引き寄せられるがごとく、イザークの方へとむけられる。

「キラは、誰かさんと一緒にいられればそれでいいって言ってたのに……。」


ボソリと、3人の声が低く、冷たくハモった。
他にも、大勢の白い目がイザークの方へと向けられて。
その視線を一身に浴びせられたターゲットは、ギクリと背をこわばらせた。


恐る恐る、視線をあっちへこっちへと泳がせる。その視界には、どこを見ても痛い視線の群れが広がっていて。
イザークは、何故クルーゼがあえて何も言わなかったのかを知った気がした。


「な、何だ貴様等!!!まさか俺が何かしたと、そう思っているわけじゃないだろうなッ!?」

「思ってるから見てんだよ!ぼけっっ!!」


いたたまれず怒鳴ったイザークを、ディアッカががっしりとホールドする。
それに身動きを封じられてイザークが息を詰めると、じっとりと睨みをきかせたアスランとニコルが、前に立ちふさがった。

「まさか…とは思うが、キラを異動させたのはお前じゃないだろうな。」

「まさか…とは思いますがね。お母上に連絡をとって、キラさんの異動を頼んだんじゃないでしょうね?」


ギラリと、2人の目が鋭く光る。

「見くびるな!誰がそんな姑息な真似なんぞするか!!だいたい俺は、まだあの女と話が済んでな---……」


「じゃあ何だ?病気がそんなに酷いのか?」

「いえ。ただの風邪みたいでしたよ。熱は酷かったですけど、本人も大丈夫だって言ってましたし…。」

「やっぱ、ショックが大きかったんじゃねぇの。無理して笑ってたけどさぁ…相当まいってたね、あれは。」

「貴様ら、揃いも揃ってキラキラキラキラと…!!一体あの女が何だというんだっっ!!!」


ただでさえチームワークというものが薄い自分達ではあったが、これほどまでにきつい風当たりを感じた事はない。
イザークは、少し見ない間にすっかり結束を固め、まるで幾度の戦場を共に駆け抜けて来た戦友のように仲良くなった同僚達を目の当たりをして、愕然とした。

確か、『キラ』が入隊したのはつい3日ほど前。
中途半端な時期に、紅が一人。
ただでさえ女というものに飢えを感じている野獣共が、紅一点の彼女にちやほやするのは分からないでもなかったが。
イザークの目から見ても、同僚達のキラへの態度はどこか異常であるように見えた。


ディアッカがあれほど怒ったのも初めて見たし、
アスランが喧嘩を売って来たのも初めて。
ニコルにしても、こんなに積極的に自分に詰め寄って来た事などこれまでに一度だってなかった。


『キラ』を語る彼等の態度はまるで…そう。
熱狂的なアイドルのファンクラブのようだ。

そこまで彼等を一つにする『キラ』という少女は、一体何だというのだろう。
ふとそんな事を考えて、自分の婚約者であった事を思い出した。
今迄の言動を振り返ってみれば、アスランたちの疑いも尤ものような気がする。

しかしイザークは、『キラ』を他へ移すなんて手回しをした覚えなどない。
それどころか、エザリアにすら連絡をとっていないのだ。
婚約解消の件については、本人に面と向かって話をしてから、その後でエザリアの了承を得ようとしていたから。

昨晩、アスランとディアッカに邪魔されなかったなら、もしかすると自分の所為でこうなっていたかもしれない。
けれど。
連絡などしていない。

だいたい、連絡しようにも、昨晩は自分達の部屋に1つしかないベッドで、よりにもよってディアッカに添い寝をされて眠らされたのだ。
こっそり抜け出して医務室に戻ろうにも、手には手錠がかけられ、ベッドから出る事も適わず。
結局男2人で1つのベッドを使うという地獄を味わわされ、直行で朝礼に連れて来られたのだから、手を回して辞令を出させるなんて出来るわけがない。

それよりもむしろ、独り部屋で行動の自由があったアスランにこそ、何らかの可能性があるのではないか。
イザークは、そう睨んだ。


「アスラン、貴様こそ心当たりがあるんじゃないのか?昨日さんざんあの女をもらうだとか、何とか言っていただろうが!」

昨夜のアスランの言葉の数々が、急に胸に甦る。
同時にふつふつと沸き起こった感情のままにイザークが怒鳴ると、イザークに向けられていた視線がいっきにアスランへと向きを変えた。
しかし、アスランは動じるどころか逆に堂々として、笑みすら浮かべる。

「ああ、そうだ。キラは俺がもらう。でもそれは、姑息な権力を使って…じゃない。お前の前で、堂々と、だ。」
「何偉そうに血迷ってんの?お前。」
「そうですよ。婚約者のいる身でふてぶてしい。ラクスさんに言い付けますよ。」
「婚約を解消するなら、勝手にするがいいさ。しかし貴様にだけは女をやるわけにはいかないからな。」

途端にアスランへと責めの方向を変えた、ディアッカとニコル。
それに並んで、イザークは昨日の続きとばかりに言い放つ。
うまく鉾先を逸らす事ができたとほくそ笑み、してやったりとアスランを責める彼は、自分がまた墓穴を掘ったという事に気付いていなかった。
イザークの調子ずいたその一言に、ディアッカは馬鹿な子でも見るように冷めた顔つきになる。
ニコルも一緒になって、呆れた表情でイザークを見据えた。

「お前こそ、血迷ってんじゃないよ。キラはもう、お前の婚約者でも何でもないだろ。」

「そうですよ。あれだけ彼女を傷つけておいて、何勝手に所有物にしてるんですか。まったく、女性の区別もつかないくせ----もごっ…!!」

「そうだ。お前と一緒になったら、キラが不幸になる。」

「同感。…ってアスラン、お前も何言いだしてんだよ。さっきの、プラント全土に関わる問題発言だろうが。」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜ンん〜〜〜〜っっ!!!!」



再度始まった、イザークへの責め。
ニコルがまた余計な事を言いかけたのに、ディアッカは彼の口を塞いで止め、アスランが話に便乗してきたのにも突っ込みを忘れない。

もう、クルーゼの去ったブリーフィングルームは、精鋭部隊(のはずの)彼等によって、大騒ぎとなっていた。

やれ誰が悪い、やれ誰の所為だと原因のなすりつけあいに発展し、終いにはキラ・ヤマトに誰が一番相応しいかの討論を始める始末。
彼女の遺伝子には自分のが合うだとか、お前のは駄目だとか、その他大勢であったはずの兵士たちまで混ざり合い、一部では乱闘にまで進展した。


イザークは、次第に自分の手から離れて行く騒動に呆然として、最後の方はもう、ただの観客と成り下がっていた。


理解できない。
たった3日にして、ここまで彼等を虜にするなんて。


ぼうっとなってしまった頭で、目の前の大騒動を眺めながら。
イザークは、ますます『キラ』と会って話をする必要性にかられた。


-----イザークさま…


そう呼んだ、掠れて潰れてしまった『キラ』の声が忘れられない。
あの響きを、どこかで聞いた気がする。
イザークさま、イザークさまと。
そう呼ばれたのは、夢の中ではなかったか。


ぼさぼさに乱れた髪もそのままに、ゆらりと足を動かしたイザークは。
誰に気付かれる事もなく、ブリーフィングルームを後にした。

written by Break Heart/らん様

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UpData 2005/10/27
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