勘違いイザの行動にエザリアママお怒りモード。

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軍服の婚約者21〜25
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「キラ!一体どうしたの、その顔は!?熱を出したと聞いたぞ。貴女はイザークの影 響を受けやすいのだから、病気には注意するようにと言ったでしょう!」

甲高く響き渡ったエザリアの声を、キラは申し訳なさそうに俯いて聞いていた。
時刻は早朝の5時半。朝礼が始まる、1時間ほど前のことだ。
昨晩アスランに薬をもらい、ニコルにしばらく付き添ってもらったおかげで、キラは 朝にはもう随分とよくなっていた。
イザークの熱をもらい、おまけに薄着が悪かったせいで1日と少し寝込んで。
元気になったのは、身体ばかり。
しかし、心の中はそれとは逆にいっそう重くなり、疲弊しきったままだった。

いつもより早く目が覚め、暗い天井をぼうっと見つめる。
何を考えていたわけでもないのに、勝手に涙が溢れてきた。


-----俺が看病をする。


嬉しかった。
それが例え、自分にとっての最終通告をされる場を作る事になったとしても、そう言 ってくれただけで、嬉しかった。


----気になる女が、いる。


夢ならよかった。
熱に魘されて、悪夢を見たのであれば、よかった。

でも夢なんかじゃない。あんな言葉を、自分の頭の中で作り出せるはずなどない。
胸が酷く痛んで、それが夢でない事の証のような気がした。
涙を止めようと必死に目をこすっても、かえってひりひりと目を傷めて。
キラは枕を抱きしめて、しばらくずっと、身体を丸めていた。

静かな医務室の中に、けたたましいコール音が鳴ったのは、それから間もなくの事。
相手が誰か分からなかった為、キラは通信に出ようかどうか迷ったが、いくら無視し てもコール音は鳴りやむ事はなく。
仕方なく、ベッドから身体を起して通信に出た。
事務机横の壁に張り付いていた薄いTV画面をONにする。
一瞬自分の格好と酷い顔を気にしたが、直すにはもう遅かった。
薄暗い部屋に、薄い光がともって、そこに人の顔が映し出される。
手を顔に添えて、なるべく相手に顔を見られないようにと隠すと、キラは「はい。」 と声を出した。
途端、胸がドキリとする。
小さな画面いっぱいに映った銀色の髪に、目眩がした。


「イザ……」
「キラ!一体どうしたその顔は!?」


第一声、怒ったように張り上げられた声に、キラは我にかえった。
見間違えたのだと気付いて、口をつぐむ。
跳ねた心臓はなかなか元には戻らずに、キラの胸を五月蝿くたたく。
その中にまた鈍い痛みを覚えて、キラは思わず顔を背けてしまった。


「エザリアさま…。」


絞り出すように声を出して俯くと、エザリアは構わず叱咤の言葉を上げた。



「それで、イザークは?」

それから一言二言…クルーゼ隊長から連絡が入っていたのに気付かなかった、とか、 仕事が忙しくて連絡がとらなかったのだとか…エザリアの話が続いて。
それが重要だとばかりに鼻息を荒くして聞いてくる。
エザリアも、まさかイザークと自分がこうなっているなどとは思いもしないのだろ う。
まるで当然の事のように画面の中にイザークの姿を探して、眉根を寄せた。


「え、あの…イザークさまは……。」
「まさか貴女に熱を伝染しておいて、看病もしなかったという事はないでしょう ね?」
「……それが、あの……。」


自分だって、まさかこんな事になるとは思いもしなかった。
それはきっと、エザリアも一緒で。
無理を通してあれこれ手を回し、自分を大切にしてくれたというのに、肝心の自分が 彼の眼中にすら入れなかっただなんて、笑い話にもならない。
おまけに婚約解消を申し渡されるのも時間の問題だとなれば、キラはエザリアに対し て申し訳なくて会わせる顔などなかった。

イザークが、自分との婚姻関係を拒絶している。
おまけに…他に、好きな女性が。

昨晩知らされた決定的ともいえる告白は、もうそれだけで自分では駄目なのだと言わ れたようなもの。
それを、どうエザリアに説明しようかと迷って、キラは視線を彷徨わせた。


「……どうした?」

黙り込んだキラに対して、エザリアがますます顔を険しいものにする。
キラは、再び溢れ出した涙をこぼすまいと天井を仰ぎ、必死で笑みを作ろうとした。

本当は、悲しくて悲しくて、エザリアの顔を見ているのも辛い。
泣いて、どうにかしてくれと彼女に縋りたかった。
しかしキラは、そんな事をすればイザークが困るだろうと分かっていたから、何も言 い出す事などできなかったのだ。

このまま破談となって、その後の自分の事を思うと不安で仕方がない。
でも一方で、軍に入った事だけは間違いではなかったのだと思う。
元々イザークに会うために、力になるために志願したのだから、婚約者として拒否さ れたとしても他の関係は結ぶ事はできる。
イザークの盾になって、もし彼が危ういとなれば守って、死ぬ事もできる。
帰る所、居場所のない自分にとって、この命の使い道が残されているだけでも、随分 を幸せなことなのではないか。

キラはそう考えて、なるべく平気なふりをしようとした。

エザリアが、イザークの意思を優先できるように。
イザークが何の責めもうけないために、自分がしっかりとしなければ。

そう心の底から強く思うのに、涙は勝手にぽろぽろと溢れ出して頬を流れる。
それを拭う事もできず、キラは泣き虫な自分を憎みながら結局俯く事で泣き顔を隠す しかなかった。


「キラ?」
「何でもないんです…イザークさまは…お見舞いに来て下さったんですけど、その… 僕が断ったんです…。」
「……キラ。」
「平気ですから…。クルーゼ隊の皆さん、とてもいい人たちで…すごくよくしてくれ るんです。本当に、エザリアさまには感謝を…。」

「あの馬鹿……っ…!」

ガンッ!と。
突然、何かが倒れるような、壊れるような、大きな音が聞こえた。
キラは驚いて、弾かれたようにエザリアの顔を見る。
自分が不甲斐無いばかりに、エザリアを怒らせてしまったのだとばかり思ったキラ は、彼女の顔を仰ぎ見て。
涙に濡れた目を、ぱちぱちと瞬かせた。
潤んだ視界にとらえたエザリアの顔は、不機嫌そうにゆがめられキラを怯ませたが、 その鋭い瞳はキラではなく、別な何かを睨んでいたのだ。

「あの、エザリアさ……?」
「帰ってきなさい。」
「…え。」
「家に帰って来なさいと言っている。ついでだ、医者にも見てもらってお休みをもら いなさい。クルーゼには私から言っておく。」

あまりにいきなりのエザリアの発言に、キラは何を言われているのか頭が働かなかっ た。
ただ、エザリアが酷く怒っている。
それだけは、はっきりと確認できて。
ひょっとして軍を除隊させられてしまうのではと心配になった。

「僕、軍を辞めたりしません!どんな形だろうと、イザークさまの側にいたいんで す!!」

先走ったキラは、焦るあまりに余計な事まで口走るはめとなる。
それにエザリアの、誰かに対する怒りが増幅されたのは言うまでもなく。
墓穴を掘ったキラはそんな事など気付きもせずに、お願いします、頑張りますと、涙 ながらに懇願した。

「帰ってきなさい。これは命令です!今日、すぐに!荷物をまとめて!!」
「エザリアさまっ…!」
「何度も言わせないで頂戴!迎えをよこす。マンションではなく、本邸に戻ってくる ように。」
「嫌ですっっ!!」
「黙りなさい!いいわね、今から自室に戻って、荷物をまとめて!」
「エザリアさまぁ…っ…!」


大粒の涙が、今度は隠すこともなくボロボロと床に落ちる。
手を前で組み合わせて小さな画面に縋り付いても、エザリアは目を釣り上げて怒鳴る だけ。
キラの言葉など、通じはしなかった。


「……じゃあ、アスランたちに挨拶を…」

「しなくていい!!」

「………イザークさまに一言お詫びを…」

「あいつに会う必要もない!何も話すな!密かに、迅速に、誰にも気付かれることな く帰ってきなさい!!」

「そんな横暴な…だって、皆によくしてもらったのに…っ…」

「すぐにだっ!い・ま・す・ぐ・に!!!」



ブツッと。
問答無用で切断された通信に、キラは髪の毛を逆立てて唖然とした。




「”よくしてくれる”だと!?誰だ、そんな事を許した奴は!」

力一杯通信機を殴って、エザリアはその手ですぐさま回線を切り替える。
そして、まだ睡眠時間中だったクルーゼに回線をつなぎ、叩き起こす勢いでコールを した。

「……これはジュール議員…こんなに朝早く何か緊急の用件でも…?」

「キラ・ヤマトを一時こちらに連れ戻す!!しばらく返さないから、かわりにイザー クに仕事をまわせ!!」

ブツリ。
突風のように吹きすさんでいったエザリアの怒鳴り声は、一方的に回線を通り過ぎる と相手が何事かと理解する前にプッツリと途切れる。
早朝から叩き起こされ、やっと仮面をひっかけたばかりのクルーゼは、唖然としてモ jターの前に立ち尽くした。



その後の朝礼にて。
彼のぶつける場をうしなった理不尽かつ静かな怒りは、当然のようにエザリアの息子 であるイザークに向けられたのだった。


***********



一体これから、どうなってしまうのだろうか。

キラは、切断されて真っ暗に戻ってしまった通信モニターを前に、しばらく立ち尽く していた。
せっかく、自分を抑えて側にいられればいいと、それだけを願ったのに。
まさか、それすらも叶わなくなるなんてまさに予想外の事態だった。

静かな医務室の中で一人、呆然と立ち尽くして、キラは身体中の水分が全て抜けてし まったのではないかと思った。
もう、涙すら出て来ない。むしろ、笑い出したくなった。
自分が情けなくて、馬鹿みたいだ。
きっと今日帰ったら、自分はもうここへは戻って来られないだろう。
渇いた笑いが漏れて洗面台にあった鏡に目をやると、幽霊のように佇む自分の姿が映 った。

エザリアの言った通り、酷い顔だった。
髪は長い分、くしゃくしゃに乱れて、顔は真っ青。
目元は赤く腫れ上がり、ウサギのように真っ赤になってしまっていた。
着ている服すら、今はちっぽけなもの。
昨日アスランに連れて来てもらってから、医務室にある予備のシャツに着替えただけ だったから、かなりだらしない格好をしていた。


「こんなんじゃ、愛想つかされても仕方ないよね…。」

ボソリと呟くと、鏡の中の自分がますます酷い顔をする。
それに溜息をついて、蛇口を捻り、キラはばしゃばしゃとヤケを起したように顔を洗 った。
そのまま水を飲もうと水差しを手で探ると、ガラスとは違う柔らかな感触に触れる。
濡れたままの顔をふとそちらにむけたキラは、手の中に握り込んだものが紙コップで ある事に気付いた。

昨夜来たときはこんなものはなかった。
不思議に思い手元に引き寄せると、中には黒い液体が半分ほど入っている。
更に引き寄せて香りを嗅ぐと、それがコーヒーであることがすぐに分かった。

誰が飲んだのだろう。
明らかに飲みさしのそれは、すっかり冷えきっていたが、香りだけは充分香ばしく て。
昨晩から何も食べていなかった分、引き寄せられる。
少し躊躇ったものの喉の渇きも手伝って、キラはそれをいっきに飲み干した。
正直、味なんてわからなかったが。
砂糖もミルクも混じっていない、冷めたコーヒーは、キラのぼんやりした頭を少し軽 くしてくれたようだった。

「ごちそうさま……。」

飲み止しといっても、大方飲んでいたのはアスランか、ニコルか、ディアッカか。
彼等の誰かだろうと思う。
昨夜からここに来たのは、それくらいしか思い当たらないから。
もしくは……。
最後に、可能性のある最後の人物を思い浮かべそうになって、キラはぶんぶんと首を 振った。
酷く、虚しい。
これが彼のものだとしても、そんな事は何にもならないというのに。


乱れた髪をさっと後ろで軽く束ねて、キラは自室に戻った。
まだ朝も早い、人気のない廊下をぺたぺたと裸足で走って、人目を気にしながら駆け 抜ける。
軍服も、靴も、何もかも自室に置いてきたままだったが、誰かにそれを取りに行って もらう事なんてできなかった。
きっと急にいなくなったりして、彼等は心配するだろう。
帰ったら、連絡だけでもしようと心に決め、キラはエザリアの言い付け通りに自室で 荷物をまとめた。




「おい、いないのか?」

その頃医務室では、キラとすれ違いにイザークが顔を見せていた。
もぬけの空となったベッドに目をやり、あたりを見回す。
しかし、そこには既に誰の姿もなく、イザークはがっかりしたような、苛立ったよう な気分になって溜息をついた。
挨拶をされるほどいい態度をとってはいなかったが、それなりに声をかけて行って欲 しかった。 都合がいいとしても、そう思わずにはいられない。
もしかしたら、一度くらい顔を見てみたかったのかも知れないと思う。

よくよく思い起せば、自分は頭ごなしに彼女を否定して、彼女のことを何も知らなか った。
どこに住んでいるとか、家族が何人とか、どうして前線に配属される部隊なんかに来 たのかとか。
エザリアからデータが送られてきたときに、丸ごと消去してしまったため、名前すら 『キラ』としか知らないのだ。
彼女には彼女の事情があったのかもしれない。
アスランや他の者達があそこまでむきになる位だから、よほど魅力があるのかもしれ ない。
その魅力が、自分に理解できないものだったとしても、友達にくらいはなれたのでは ないのか。

今更そんな事がぐるぐると頭をまわって、イザークは自分が後悔しているという事に 舌打ちをした。
違う部隊へ異動になっても、連絡くらいはとれるだろうか。
直接会って、酷い事を言ったと、詫びるくらいはできるだろうか。
彼女の方が、それを受け付けるかは分からないが。

はぁっと深い溜息をついて、またまわりを見回す。
そういえば昨日、ここにコーヒーを持ってきてそのままだったのを思い出し、イザー クは記憶をさぐってそれを探した。
医務室を一度出て床を見ると、そこには置き去りにされた紙コップが。
不本意ながら、『キラ』の居場所を聞き出すためにアスランに差し入れようとしたそ れは、床という場所柄のせいか、埃だらけでとても口にできるものではなくなってい た。
そしてもう一方の紙コップは、机の腕で見つける事ができた。
これならまだ飲めるだろうと手に取ると、中身は蒸発でもしたかのようになくなって いた。
誰が飲んだかなど、イザークにはわかりきっていた。

ニコルは、コーヒーが嫌いだ。
だったら、これに気付く人物など一人しかいない。
昨晩ずっと医務室を使っていた…。

特に嫌悪感を感じる事なく、空になった紙コップを手の中で弄ぶ。
そうしてぼ〜っと、それを眺めていると。



突然、医務室の扉が静かに開いた。



「…………あ。」


小さく漏れた声と共に、時間が止まる。
イザークは息をつめて、扉の向こうに現れた姿に目を奪われた。

茶色の長い髪がさらさらと肩にかかり、柔らかそうな肌は象牙色。
手足は頼りないほどに細く、大きめのボストンバッグをぶらさげている。
しなやかな肢体に白いワンピースを纏ったその少女は、手に白衣を携えていた。
例えそれがなかったとしても、イザークは彼女の事がわかっただろうと思う。
少女の目元は赤く腫れてはいたが、瞳だけは、あの時と同じ光を放っていたから。


「お前…。」


低く漏らしたイザークの声に、少女の大きな瞳が揺れる。
暗がりの中でも強い光を持つ、その瞳。
朝の光を浴びた少女の瞳は、イザークの記憶にあったものより、いっそう輝いて見え た。



「あ、あの……これ、返しに来ただけですから…。部屋を整理してたら、持って帰っ たままなのに気付いて…。」

棒立ちになるイザークにぎこちない笑みを浮かべて、少女は中へと足を踏み入れる。
早足で部屋の隅に存在していたロッカーに歩み寄り、手にしていた白衣を放り込むよ うに中へと戻すと、そのまま逃げるような勢いでイザークの前を通り過ぎる。

「待て。」

その腕を、イザークは迷わず引き止めた。


自分を掴んだ力強い手の感触に、キラが震えたことなど気付くこともなく。



**********



「何処にいたんだ。探したんだぞ。」

不機嫌そうに問いかけられた言葉に、キラは1つ深呼吸をした。
掴まれた腕が、熱い。
その感触に、再び熱が上がってくるような気がして軽い目眩を覚えた。
顔を上げれば、そこにはイザークの顔が。
最後に、迷惑をかけた事を謝りたいと思っていたのに、キラは顔を上げてイザークが どんな顔をしているのか見る事ができなかった。

目を合わせて、また何かを言われたらどうしよう。
あの綺麗な瞳で、まっすぐにまたあの言葉を繰り返されたら。
それを思うと恐くて、キラは全身を緊張させたまま、自分の髪の茶色いカーテンの中 に隠れていた。


「俺の事を、怒ってるのか?」

頭の上から降ってくる、呟きのような声。
それにはっとして、ゆっくりとイザークの顔を見上げると、伺うような眼差しがそこ にあった。
怒っているわけでも、蔑んでいるわけでもない、むしろ不安の色を宿したアイスブ ルー。
目が合った途端、キラは急に自分が恥ずかしくなって、また俯いた。

「お、怒ってなんて!そんな事、絶対ありません!!その、部屋に戻っていて…ごめ んなさい…!」

イザークが悪いわけでも何でもないのに、彼の前であてつけのように沈む自分が情け ない。
焦って大きな声を張り上げると、またイザークが首を傾けて顔を覗き込んでくる。
それを遠慮がちに見て、キラはお別れの言葉を、言葉をと自分に言い聞かせた。

「泣いたのか?」

今度は心配そうにイザークが眉根を寄せるのに、なかなか言葉が出て来ない。
酷い顔を見られたと思い、思わず身を引くと、更にぐいっと腕を引っ張られた。

「どうして逃げるんだ。」
「あのっ…む、迎えがきてますので…!もう行かないと…っ…」
「どこに行く?怒ってないなら、こっちを向いて話を聞け。」
「家に帰るんですっ……!短い間でしたけど、貴方に会えてよかったです!」
「もう会えないような言い方をするな。俺はまだ世話になった礼も言ってない。」
「お礼なんて、いいんです!その言葉だけで、充分……」


もう涙は枯れてしまったと思ったのに、キラの目はじわりじわりと熱をもつ。
唇を噛んで耐えても、熱ははけ口を求めて外に溢れ出して来た。
キラの瞳から、ポロリポロリと涙が溢れ、床におちる。
イザークは驚いて、キラの震える腕をさっと解放した。


「なっ…何で泣くんだっ!?」
「ごめんなさ……気にしないでっ…いつもこうで…本当、恥ずかしい…」
「腕が痛かったか?酷い事を言ったなら、謝る。だから泣くな………っ………!!」


しくしくと泣き出したキラに、わけもわからず焦り、なだめようと四苦八苦する。
今迄に、泣く相手を宥めた事などなくて、イザークはどうすればいいのかと戸惑っ た。
つい叫ぶように言ってしまい、その後でまた後悔をする。
どうして自分はこうなのだろうと、自分で自分が情けなくなり、イザークこそが泣き 出したいような気持ちになった。

「頼むから、泣くな…。俺が悪かった。謝るから…。」


結局それしか言う事ができずに、今度はそっと、優しくキラの頭に手をかける。
親が子にするように、そっと艶やかな髪を撫でて、目の前の儚い少女が泣き止んでく れる事だけを願った。
こうして触れていると、不思議な感覚に襲われる。
自分でも説明のつかない、感じたことのない不可解な何か。
これがひとを好きになる、という事なのかとイザークは何だか恥ずかしいような、も どかしいような気分になった。
相手が泣いているのに、可愛いと思う。
慰めたいのに、どうしていいのかわからない。
一人の少女を前に、こんなにも無力を実感することなど、今が初めてだった。
顔を、見たい。瞳を見たい。
慰めなければと思うのに、その欲求ばかりが募って、行動の先を自分に促す。


イザークは、キラの髪を撫でていた手を止め、静かに肩にかけると。
そのまま自分に向き合わせて、涙に濡れる頬に触れようとした。

途端、視界が茶色に支配される。
胸にあたる、柔らかい感触と、背にまわされたあたたかい腕の感覚。 ぎゅうっと力を入れられて、それらの感触が更に強くなり。
イザークはそのまま動く事ができなくなってしまった。
胸に、今迄撫でていた小さな頭がすりよってくる。
腕がしがみつくように自分の身体にまわされていて、密着した身体から、図らずしも やわらかい身体の感触を感じ取って、全身が火を吹いたように熱くなった。
突然自分に抱き着いて来た柔らかい存在に、イザークは咄嗟に反応することができ ず、彼女の肩に置いた手をその身体にまわすなんて事、条件反射でもできなかった。
ただ、頭の先から足の先まで全てが硬直してしまって動けない。

キラはしばらく、身体をこわばらせたイザークの身体をぎゅっと、抱きしめていた。
何かを期待していたからではなく、最後に、イザークの温かさを身体にしみ込ませて いきたかった。
それだけだった。


「ずっと、ずっと好きでした。…どうか、お幸せに…。さよなら…。」

最後に、ぎゅうっと力いっぱい抱きしめて。
キラは、突き放すように、イザークの身体を解放した。
イザークが呆然としているのに苦笑して、すばやく荷物を手にとる。
そして、再び振り返る事もなく、医務室を飛び出した。

さよなら。
さようならと、何度も頭の中で繰り返して。
まさかイザークが追いかけてくるなんて、夢にも思わなかったのだ。




「待てっ!!どうして逃げる!!!まだ話は終ってない!勝手に行くなっっ!!!」

全速力で走る廊下の後方から、怒鳴り声が聞こえてきた。
キラは驚いて振り返り…廊下の先で、同じく全速力で駆けてくる銀色の髪を見た。
酷く怒った顔で真っ赤になって走ってくる彼は、キラが今迄に見たクールな一面とは 全く違う。
まるで獲物でも見つけた虎のように、必死の形相でこちらに迫ってくる様は、キラに 恐怖を抱かせるには充分すぎるほど迫力があった。
最後に抱き着いたのが悪かったのだろうか。
キラは最後の最後でどうしてこうなるのかと自分を恨んで、本能的にまた走り出し た。


「止まれ!!!止まれと言っているだろうがっっ!!!!」
「ごめんなさい!ごめんなさい、ごめんなさいっっ!!!!」

止まれと言われても、素直に足を止めることなどできない。
怒られる分謝って、キラは更に加速して走った。
アカデミーでは、足の早さも一番だった。
イザークを侮っているわけではなかったが、ふりきれる自信はある。
施設の長い長い廊下を走って、角を曲がって、曲がって、キラはイザークを振り切っ てしまおうと走る。
しかしイザークも諦める事なく、目の前で逃げる少女の背中を必死に追いかけた。
ここで逃げられたら、もう会えなくなるかも知れない。
あんな一方的な告白の後で、勝ち逃げをするように去って行かれるなど、プライドに かけて許せなかった。


「待てと言っているだろうがっっ!!貴様、一体何のつもりだっっ!!」
「ごめんなさ…っ…」
「だからどうして謝る!?わけのわからない奴だ!人の話を聞いて行け!!」
「聞きますからっ…追い掛けないでくださいっ!」
「貴様が逃げるからだろうがっっ!!」


叫びながら、走る。
お互いに声を張り上げ、その声が廊下に反響してよりいっそう大きく聞こえた。

それにしても、何て足の早い。
イザークはいっこうに縮まらない距離に苛立ちながら、それでも何とか追いつこうと 必死で床を蹴る。
少女の足どりは軽やかで、まるで空を飛んでいるように重さを感じさせなかった。
そのまま空を飛んで、どこか遠いところに行ってしまうのではないか。
本当にそんな気がしてくるだけに、イザークは諦めることなどできなかった。


彼女は、ずっと好きだったと言った。
そして、お幸せに、と。


その所為で泣いていたのだろうか。
そうだとするなら、心当たりは一つしかない。
自分の婚約者の存在。
自惚れかも知れないが、すっかり施設内で有名になった自分の婚約者の存在が、彼女 を泣かせたのかもしれない。
だから、彼女は自分の前に姿を現さなかったのだ。
そう考えるのが一番妥当な気がして、イザークは何とか誤解を解かなければと焦っ た。

婚約者など、今はいない。
自分の隊から別のところへ異動したそいつに遠慮をすることなどない。
『キラ』という名の婚約者に対して、わずかに罪悪感を感じたものの、イザークにと っては目の前を走る彼女の方が今は重要だった。
そうだ、『キラ』を傷つけてまで婚約を拒んだのだ。
その原因となった彼女への想いを、ここで逃がすわけにはいかない。
それこそ、『キラ』に対して申し訳ない気がした。

走るうち、彼女の足取りが少し鈍くなる。
さすがに持久力ではこちらが上かと笑って、イザークは留めとばかりに手を伸ばし た。
キラは後ろに迫るイザークを振り返る。
彼の大きな手がのばされて、自分を捕まえようと広げられたのを見たとき、もう駄目 だと思った。

施設の出口はすぐそこ。
そこまで行けば、エザリアがよこした迎えが待っているはずなのに。

キラは諦めに似た気持ちで再び背後を振り返り。
横から赤い風が吹いてくるのを目にした。

風の正体は、紅の軍服。そして、金色の髪。
それが目にも止まらぬ早さで割り込んで来たかと思うと、迫っていたイザークをなぎ 倒したのだ。
その後で、彼よりかいくらか小柄な少年も混ざり合い、イザークの上にのしかかる。
キラはふいに足を止めて、もみくちゃになって暴れる3人の姿に唖然とした。


「大丈夫、キラ?」

再び登場した、3人目。
息をきらして目を円くしたキラは、穏やかな顔をして微笑むアスランを見上げた。

「…アスラン…どうして…。」
「キラが異動するって聞いたから。ここで待ってたら、来るんじゃないかと思って ね。でも待っててよかったよ。イザークがいないから、まさかと思ったけど。怪我し てない?」
「うん…。」

落ち着かない息を吐きながら、途切れ途切れに返事をする。
ディアッカとニコルに捕まえられたイザークを見遣ると、砂埃が上がる程の乱闘にな っていた。
オロオロと遠くで様子を見ていると、アスランがにっこりと笑みをむけてくる。
キラの手をとり、1枚の紙切れを手に握らせた。

「これ、俺の連絡先。異動になっても、連絡してくれれば会いに行くから。」
「…異動って?」
「異動…になったんだろ?違う隊に配属されるって、クルーゼ隊長はそう言ってたけ ど。」
「違うよ。休暇をもらったの…辞めさせられるのかもしれない…。」
「そうか…なら尚更だね。行くところがなかったら、俺の家に来るといいよ。マンシ ョンだけど、誰もいないから。」
「……あ、うん。ありがとう…でも悪いから…その時はラクスの家に行くよ…。」


紙に書かれた住所とメールアドレスを確認して、キラは少し笑った。
急にガッカリした顔になるアスランにも、笑みがこぼれる。


「コラァッ!!アスラン!!そいつに近付くな!!殺すぞ!!!!」
「ハイハイ。お前また軍務サボる気かぁ?お母上に言い付けるぞ…ったく。」
「イザーク、往生際が悪いですよ。さっさと戻って、窓拭きしてくださいね〜。」

イザークが叫ぶのに、ディアッカとニコルが2人がかりで押さえ込んで、彼の足を止 める。
キラは心配そうにイザークを見遣ったが、アスランに促されて施設を出た。


「貴様ら、どういうつもりだ!!!?あいつを知っているのか!!?」
「お前は黙って勘違いしてればいいの。さぁ戻って戻って。」
「昨日僕たち、どれだけ働いたと思ってるんですか。今日はアスランと2人で、たっ ぷりお掃除地獄を味わって下さいよ。」
「離せ〜〜〜〜〜!!!!!俺はあいつが……っ……」
「スト〜〜ップ。見苦しい真似はよそうぜ。」


大声で主張しかけた告白を、ディアッカが手で封じ込める。
もがもがと手足をばたつかせたイザークを羽交い締めにすると、こちらに向かって手 を降るキラに笑顔で答えた。


「ディアッカ〜!ニコル〜〜〜!元気でね〜〜〜〜!!」
「おぅ!休暇が出たら、デートしような!!」
「コンサートに招待しますから!!!」


随分と親し気に交わされる、やりとり。
イザークはえ。
とディアッカとニコルの顔を見て、それからキラの方へと目をやった。
アスランに付き添われたキラの側に、一台のリムジンが止まる。
当たり前のように運転手が出てきて、後部座席の扉を開いた。
どこかで見たような車だ。
そう思ったのも束の間、運転手はイザークに向かって一礼をする。
それに不振なものを感じて、イザークはじっと目をこらしていた。


運転手にわずかにお辞儀をし、少女が車の中へと消える。
すぐに後部座席の窓が開き、彼女は外に顔を出した。
最後にイザークに頭を下げ、アスランと一言二言言葉を交わして。

そして車は、静かに遠ざかっていった。



「キラが、コーヒーごちそうさまでした、だって。お前に伝えてくれって。ほんと、 健気だな。」



車が見えなくなるまで見送ってから、アスランはつまらなそうにイザークのところへ とやってくる。
通り過ぎざま、一言それだけを言って屋内へと戻っていった。

イザークは、そのまま動けない。
ディアッカとニコルが「あ〜あ、言っちゃったよ」と囁きあったのを遠くに聞いて。


ずっと、ずっと、ずっと。
何をするにも上の空だった。



********



キラがジュール家の本邸へ来たのは、これが初めてだった。
エザリアとプラントへ来て約半年。正確には7ヵ月たっていたが、キラはアカデミーに 入る前にはずっと用意されたマンションで暮らしていたから、本邸を訪れた事は1度も なかった。
理由はいろいろあったようだが、一番は『血のバレンタイン』のいざこざで、高官の 出入りが激しかった事。
そして、エザリアにもキラを側に置いてやれる隙がなかったという事が原因だった。

本邸の大きな門をくぐると、すぐに『屋敷』と呼ぶにふさわしい真っ白な建物があら われる。
窓がいくつもあって、その一つ一つに綺麗なカーテンが。
人が5人並んで入れるほどの玄関口は美しい模様の石造りで、細やかな彫刻がなされて いた。

リムジンが玄関口の少し手前に横付けされると、すぐに座席の扉が開いた。
運転手はまだ運転席に。
ジュール家に使えるメイドさんが開けてくれたのかと思い、遠慮がちに外に出ると、 そこに待っていたのはエザリアの姿だった。


「エザリアさま…!」

まさかエザリアが、わざわざ外に出て待っていてくれたなんて思わなくて。
キラは動揺をかくせずあわわ、と真っ赤になった。

「久しぶりね、キラ。アカデミーを卒業した時には会いに行けなくて悪かったと思っ てる。」
「えっ!あ、いえ!軍人になったんですから!そんなお気遣いは無用ですっっ!!」

ピシッと赤面したまま敬礼すると、エザリアが目を細めて笑う。
それにますます恥ずかしくなって、キラはすごすごと手を下ろした。

「さぁ、今日は私も休みだ。一緒に朝食にしよう。」

にこやかな笑みを浮かべるエザリアは、早朝の迫力などなかったように優しい。
おまけにイザークの事を少しも触れて来ないから、それが逆にキラを緊張させた。
朝食の前にシャワーを浴び、いくらかその緊張もほぐれたが、なかなかエザリアの顔 を真直ぐに見る、という事ができない。シャワーの後で用意されていた、何故かぶか ぶかのシャツの裾を弄びながら、キラはいい香りのする焼きたてのパンと色とりどり のジャムを前にして手をつける事ができなかった。

「どうした、食べないのか?美味しいと思うのだけど。」
「………。」

少し首を傾けて、覗き込んでくるエザリアとの距離は近い。
小さなカフェテーブルで、テラスに出てとる朝食というのは話をするには絶好のセッ ティングだったが。
今のキラにとっては食欲を失わせる元となっていた。

「この野苺のジャムなんて、私は大好物なのだけど。オレンジマーマレードもある。 ブルーベリーがよければこっちに。もしかして、バターの方が好みだったかしら?」

黙り込んだままのキラにエザリアはあれこれと勧めて、スコーンをバスケットから取 り分けてキラに差し出す。
キラはそれをのろのろと受け取ると、何もつけずにさくっと一口かじり、すぐに目の 前の皿へと置いた。
エザリアの訝し気な視線と、それに反して明るい声が胸に痛い。
また俯いて余ったシャツの裾を弄り出したキラを、エザリアはしばらく黙ってみてい た。


「遠回しにするのはよそうか。どうだった、クルーゼ隊は?」

紅茶から湯気が消えた頃、クスリと笑ってエザリアが話題を変える。
キラは来るべき時が来たとびくりと肩を揺らして、もじもじと動かしていた手を止め た。

「あ…はい、皆さんいい方ばかりで…よくしていただきました。」
「それはもう聞いた。」
「………。」
「イザークは?」
「…。」
「あの子はどうだった?しっかりやっていたのかしら。しばらくイザークに会ってい ないから、貴方が教えてくれなければ分からないわ。」
「熱を出されて…。」
「それも聞いた。貴方が看病してくれたのね、ありがとう。」
「僕も熱を出していたので…。」
「後で医者を呼びましょう。もう一度言うけれど、病気の時はイザークに近付くのは よしなさい。あの子は平気だけど、貴方が倒れるわ。その為に成人するまで離してお いたのだから。」
「…………エザリアさま…。」
「何?」


それから少し、間があった。
キラは言おうとかどうか迷って、深呼吸をする。
顔を上げてエザリアを見れば、エザリアは穏やかな笑みを浮かべていた。

「今迄、ありがとうございました。僕、軍に帰ります。お世話になってばかりで、何 も返せませんけど…僕、守りますから、イザークさまのアと。どこまでできるかわかり ませんけど、守りますから。」
「………キラ。」
「はい。」
「話をとばさないで頂戴。私はイザークはどうだったか聞きたいのよ。」

変わらず優しげに声をかけて、エザリアはテーブルに肘をつく。
俯き加減のキラの顔をじっと見て、言葉は厳しくとも口元の笑みを消す事はなかっ た。

「入営前に会いに行くようにと言ったな?女の子らしい格好をして会いに行けと。そ こでイザークは何と言った?」
「え…っと…それが、入営前にはお会いできなくて…イザークさまはお忙しかったよ うなので…。」
「……それで?」 「翌日、配属された時にクルーゼ隊長が気を使って下さって…お時間をいただきまし た。」

あの時の事は、はっきりと思い出せる。
入営前に挨拶できなかった分、どう言おうかと緊張して夜眠れなかった。
おかげでクルーゼが用意してくれた部屋で、待ち時間があまりに長かったので居眠り をしてしまった。
そこで会ったのは、ニコルという可愛らしい少年で。
結局イザークには会えなかったものの、おかげで彼と仲良くなる事ができたのだ。

「そこではどうだった?」
「それが…その…、その時イザークさまはもう医務室で休んでおられて…僕、夜に医 務室まで行ってみたんです。」
「…………。」
「そうしたら、医務室には誰もいなくて…イザークさまの熱が酷いので、僕がお医者 様のかわりを…。」


思い出しただけでも恥ずかしくなる。
イザークに水を飲ませて、身体を拭いてあげて。思えば大胆な行動だったと思う。
あの行動だけは自分に誇れるものだと、キラは少し笑みを浮かべた。

「その後は?一体いつ話をしたんだ?」
「それは翌日……夜、に。出身地はどこだとか…両親の事とか…。」

コツコツと、テーブルを叩く音がする。
エザリアが、指先を規則正しいリズムを刻んでコツコツコツと叩いていた。
先ほど迄穏やかだった表情もどこか陰りを帯びて、彼女の機嫌が損なわれている事が 伺える。
その昼に、衝撃的な事を言われてしまったのだが、エザリアの不機嫌な様子を見てし まうと、言わなくてよかったと安堵した。
キラは一旦言葉をつまらせて、冷めきった紅茶を一口、口に含んだ。

「イザークさま、資料を見て下さらなかったんですね。僕、てっきりイザークさまに 覚えてもらっているものだと思い込んでて…名前を聞かれたんです。もう恥ずかしく て恥ずかしくて…。」

ガシャンッと。
今度はテーブルの上のカップが、音をたてて割れた。
まだ残っていた紅茶がソーサーの上にこぼれ落ち、テーブルをも濡らす。
キラが慌ててナプキンを手に取ると、エザリアはすぐにそれを制した。



「いい。分かった。」


それだけを短く言って、エザリアは使用人に声をかけ、割れたカップを片付けさせ た。
何がわかったというのだろう。
キラは、再び食事を始めたエザリアをちらちらと伺いながら、自身もそれ以上話をす る事ができず、間をとるためだけにスコーンを頬張った。


陽の光が心地よい、麗らかな朝だった。



********



「俺だって知ってたら、言わなかったさ。まさかイザークが、そんな馬鹿で間抜けで 奇跡的な勘違いをしてるだなんて、普通思わないだろ?」


その頃軍施設でも朝食の時間と相成り、アスランを始めディアッカ、ニコルも揃って 食事をとっていた。
アスランはフォークでサラダを突きながら、拗ねたように言う。
ディアッカとニコルはアスランの前に陣取って、はぁ、と深い溜息をついた。

3人の、本来なら爽やかであるべき朝食タイムは、キラと別れた後にアスランが発し た、たった一言の伝言によって、台無しになってしまったのだ。
あのままアスランが何も言わなかったなら、恐らくイザークはあのまま勘違いを続 け、ディアッカとニコルにとっては美味しい展開になっていたはずだ。

あの状況から、イザークが軍服を着ていないキラを、『キラ』だと思って追いかけて いたとは考えにくい。
素直に自分の気持ちをあらわにしていたし、彼女と自分達が挨拶しているのにも驚い ていた。
どうして追いかけっこに発展したのかは想像に難かったが、大方キラの方がイザーク に恐れをなしたというところだろう。
施設を出ようとした所をイザークとはち合わせになり、キラが逃げて。
イザークとて、あれほどムキになって探していた相手をみすみす逃がすとは思えな い。
アスランが最後の最後で余計な事を言いさえしなければ、ディアッカとニコルの思惑 は成功に終っていたのだ。

キラはイザークの元から姿を消し、婚約は無効。
イザークは『婚約者』の異動に安堵し、想い人に去られて意気消沈。
しばらくはおとなしくなるに違いない。
更にいいことには、イザークのおかげでキラの心にも入り込む隙ができ、とりいる余 地ありという事だった。
ほとぼりが冷めた頃にキラと連絡をとり、うまく誘惑する。
かなり意地が悪いとは思うが、キラをイザークと結婚させて一生苦労させるよりは、 その方が随分と彼女のためにも、自分の為にもいいように思われた。


しかし、その計画もアスランの一言でパァ。水の泡だ。
知らなかった事だから仕方ないとは思っても、ディアッカとニコルは文句を言わずに はいられなかった。
同時に、アスランにも話を通しておくべきだったと深く後悔する。

「あ〜もう、これでジュール家は安泰だよ。」

手にしていたフォークを投げ出して、ディアッカは机の上に突っ伏した。

「そうとは限らないんじゃないですか?イザーク、あれだけキラさんに酷い事を言っ たんですから…おまけに最後のアレ。あれだけ勢いづいて追い掛けられたら、キラさ んだってもうイザークに近付きたくなくなりますよ。むしろキラさんの方から婚約破 棄を申し出るかも…。」

ニコルが難しそうに言ったのに、アスランは心の中だけでその可能性を否定する。
キラの秘密を知っているアスランは、キラの想いの強さを垣間見ただけに彼女がイ ザークを拒否するなんて事はありえないのだとよく分かっていた。
しかしそれは、キラが自分にだからと打ち明けてくれた秘密。
おいそれと口にする事はできない。
迂闊に口を滑らせてはと思い、口を挟まず黙っていたアスランの考えを、まるで代弁 するかのようにすぐディアッカが口を開いた。


「イザークが謝ってきて、キラが拒むと思うか?”イザークさま”だぞ?誤解して た、すまん。の一言で全部許しちまうに決まってるぜ。」
「でも…イザークの暴走癖や癇癪癖を知ったら、失望するんじゃないですか?今迄に イザークに会いに来た女の人たちだって、そうだったじゃないですか。僕達が邪魔す るまでもなく、そのうちフラれちゃうと思いますけど…。」
「いーや。キラはキラで相当手強いね。事情はよくわかんねぇけど、イザークと一緒 になるのに使命感みたいなの感じてんだよ。……そうやって不幸になっていくなん て、見てらんねぇよな〜。」
「僕、何だか涙出てきました…っ…」


ついに目に涙まで浮かべ軍服の裾で顔を拭い出したニコルを、ディアッカはよしよし と慰め、アスランはそんな2人を見て苦笑を漏らす。
確かに、キラもイザークが素直に頭を下げたなら逆に謝る勢いで彼を許すだろう。
大きな瞳を涙で潤ませて、頬を染めて号泣するキラの姿が容易に目の前に浮かぶ。
その後は急速に2人の距離は縮まり、目に痛いほど熱々なカップルになってしまう事 だろうと思う。
しかしアスランには、ディアッカやニコルが嘆くようにすんなりと事が運ぶとは思え なかった。

「そうすんなりいけば、いっそ諦めがつくんだけどな…。」

ぐしゃぐしゃとポテトサラダを意味なくかき混ぜながら、アスランはニヤリと笑う。
途端奇妙な薄笑いを浮かべ始めるアスランに、ディアッカもニコルも目を円くして顔 を見合わせた。




♪ピーンポーンパーンポーン♪
『クルーゼ隊所属、イザーク・ジュール。クルーゼ隊所属、イザーク・ジュール。直 ちに自室へ戻り、外線にて通信を待て。…繰り返します。クルーゼ隊所属、イザー ク・ジュール。クルーゼ隊所属、イザーク・ジュール。直ちに自室へ戻り、外線にて 通信を待て。』


♪ピーンポーンパーンポーン♪



可愛らしい音楽と共に流れる館内放送。
それが食堂にも流れてきて、3人は口をつぐむ。
何度も何度も呼び出される名前は、今や彼等の話題を独占する人物のもの。
あまりにタイミングのいい呼び出しに、アスランもニコルもディアッカも、考える事 は一緒だった。

「キラって、イザークん家に行ったんだろ。……じゃあこれって……。」
「もしかしなくても、ですね。」
「…………。」

3人の目線が、一点でピッタリと合わされる。


「「「ざまぁ見ろ、だな。」」」


忘れていた。一番巨大な存在の事を。
3人は稀に見る見解の一致で、同時にその事に気が付いた。


女性でありながら最高評議会議院の席に名を列ね、議会では常に他の議院に食ってか かるほどの気性をもち、マティウス市という大都市を統括。
かつジュール家とイザークに関して絶対的支配権を持つ、母としての顔も持ち合わせ た女性、エザリア・ジュール。
キラをイザークの婚約者に決めたのもエザリアで、キラをクルーゼ隊に配属させたの もエザリア。
キラに休暇を出したのもエザリアだろうし、だったらこのタイミングでイザークにコ ンタクトを取ってくる人物など、彼女をおいて他にはいない。

よくよく考えてみれば、イザークがどんなに拒もうとも、相手が愛想をつかさない限 りは、この婚約を破談にできるわけはないのだ。ジュール家において、エザリアの言 う事は絶対。
その彼女が決めた婚約者を、イザークに拒む権利など与えられていない。
今や最悪の事態を迎えていたイザークとキラの間柄を、エザリアが黙って許すわけは ないのだから。

それに思い当たった途端、3人は肩を震わせて笑い出した。
この通信によって、イザークの誤解が解けてキラとの仲は修復されるだろう。
しかし、あの厳しい女性が息子のお馬鹿な勘違いを「はいそうですか」と流すはずは ない。
恐らくは、キラに吐いた暴言の数々を凌駕する制裁が加えられるはず…。

食事の手を完全に止めて、エザリアに怒鳴られて小さくなるイザークを想像し、アス ランたちは何とか笑いをこらえようと必死で腹を抱えた。

しかし、それも束の間。
彼等の笑いは、次の放送でいっきに引っ込められてしまう。



♪ピーンポーンパーンポーン♪
『クルーゼ隊所属、ディアッカ・エルスマン。クルーゼ隊所属、ディアッカ・エルス マン。直ちに自室へ戻り、外線にて通信を待て。…繰り返します。クルーゼ隊所属、 ディアッカ・エルスマン。クルーゼ隊所属、ディアッカ・エルスマン。直ちに自室へ 戻り、外線にて通信を待て。』

♪ピーンポーンパーンポーン♪



「……俺ぇ!?」



♪ピーンポーンパーンポーン♪
『クルーゼ隊所属、ニコル・アマルフィ。クルーゼ隊所属、ニコル・アマルフィ。直 ちに自室へ戻り、外線にて通信を待て。…繰り返します。クルーゼ隊所属、ニコル・ アマルフィ。クルーゼ隊所属、ニコル・アマルフィ。直ちに自室へ戻り、外線にて通 信を待て。』

♪ピーンポーンパーンポーン♪



「…………え。」



しぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん……


腹を抱え、前に突っ伏していたディアッカとニコルは、前触れもなく飛び出してきた 自分達の名に、完全に動きを止める。
こうも連続で呼び出しを受ける事などこれまでになかっただけに、2人の脳裏には嫌 な予感がよぎった。
クルーゼからの呼び出しならば、自室に帰される事などまずない。
自宅から通信をかけられる覚えもないし、第一自分たちが連続して呼び出されるなん ておかしすぎる。
ディアッカとニコルはしばし黙って、なかなか速やかに自室へ戻る気にはなれなかっ た。
その目が、唯一呼び出されていないアスランの方へと向く。
アスランは自分の名前が出て来なかったのにほっとして、既にぐちゃぐちゃになって しまったポテトサラダを一口、口に含んだ。

「早く行った方がいいんじゃないのか?大事な通信だったらどうするんだ?」

さきほどまでの無気味な笑みはどこへやら、真面目くさって食事を再開するアスラン に、ディアッカとニコルは不満げに睨みをきかせる。
しかし、いつまでもそうしてもいられず、渋々、のろのろと重い腰を上げた。




♪ピーンポーンパーンポーン♪
『クルーゼ隊所属、アスラン・ザラ。クルーゼ隊所属、アスラン・ザラ。直ちに自室 へ戻り、外線にて通信を待て。…繰り返します。クルーゼ隊所属、アスラン・ザラ。 クルーゼ隊所属、アスラン・ザラ。直ちに自室へ戻り、外線にて通信を待て。』

♪ピーンポーンパーンポーン♪




「「「……………。」」」



3人の胸に嫌な予感がよぎり、背中には冷たい汗が伝った。



written by Break Heart:らん様

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UpData 2006/05/23
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