勘違いだと分かったのに、頑ななイザーク。
このSSのアスランは本編のヘタレは影を潜め、漢前ですw


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軍服の婚約者26〜30
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気の進まない分トロトロと、3人は自室への廊下をゆっくり歩いた。
相手を待たせると、更に恐ろしい事になる。
そうは分かっていても、一向に歩く速度は早まることなく、どんよりと影を背負った紅服3人は、横に並んで宿舎へと戻っていった。


「…まさか…とは思いますけど…。」


そこまで言いかけて、ニコルが口を噤む。
しかし、たったそれだけの言葉だけで、ディアッカとアスランにはその先が理解できてしまった。

まさか…まさか。
そう、まさか…だ。

まさか、自分達までイザークの犯した過ちのツケを払わされるハメになるのではないか…と。

3人は同じように押し黙って、背中に伝う汗が量を増してゆくのを感じた。

イザークと知り合ってからずっと、事あるごとに尻拭いをさせられてきたディアッカ は勿論のこと。
日頃からイザークにからまれ、事あるごとに難癖をつけられてきたアスラン。
そしてそれらを常に傍観してきたニコルでさえも、ついに自分にまで被害が及んでし まうのではとびくびくした。

どうして、こうなるんだろう。
悪いのはイザークのはず。
キラを泣かせたのも、キラに暴言を吐いたのも、キラを追いかけ回したのも、全てイ ザーク一人のやったこと。
勝手に勘違いをして、一人で空振りをして。
それも全て、イザークが勝手にしでかした事だというのに。
どうして自分達までが呼び出しを食らうはめにはるのか。

3人は、それぞれにキラと出逢ってからの自分達の行動を思い返した。


ディアッカは、キラと2度ぶつかった。
1度目はお互いに転んで、2度目はキラだけが転んでしまった。
まさか、今回の呼び出しはそれが原因なのではあるまいか。


ニコルは、イザークの代わりにキラを迎えに行き、そこでキラの寝顔を見た。
ディアッカに止められて、イザークの勘違いを指摘しなかった。
そしてキラの看病を、した。
全てキラの為に、善意の心でやった事だったが、もしかしたら、寝顔だけは見てはいけなかったのかもしれない。
……いや、ディアッカと一緒になって、イザークにタックルをかましたのが悪かったのかも。
放っておけば上手く行ったかも知れないイザークとキラの間に、首を突っ込んだのがそもそもの間違いだったのか。


アスランは、キラと星空の下で出逢った。
キラの怪我した足を手当てし、イザークに近付かない方がいいと忠告もした。
キラとナイフ戦で模擬を行い、本気で戦った。
キラに圧倒され、キラに追突され、キラに泣きつかれて。
キラの秘密も知ったし、キラを誘惑もした。
キラを抱いて医務室に連れてゆき、そこでイザークに戦線布告をした。
そして今もなお、キラを手に入れたいと、そう思っている。

それらを考えて、3人の中で一番罪の重いのは自分なのでは…と、アスランはふと思った。
もしこの件が、キラに関しての呼び出しで、キラとイザークがうまくいったのなら、責められるのは自分以外にはありえない。
一瞬、アスランの顔からざっと血の気が引いて行ったが。
次にはまた、不敵な笑みが口元を飾った。

いや、よく考えても見ろ。
父は最高評議会国防委員長。
その嫡男である自分に、誰が非難の言葉などかけられるだろうか。
相手は平の議院。
気性は荒くとも、その点の分別はついているはずだ。

こういう時、権力者の身内とは有り難いものだと、アスランはフッと笑った。
内心、まさか、まさかと心臓バクバクの状態ではあったが。


………というか。
悪いのはイザークなのだから、自分が文句を言われる筋合いなどないではないか。
イザークは誤解とはいえ、一度は婚約を拒否したのだ。
その彼からキラを奪って、何が悪い。
キラが気に入ってしまったのだから、これも全て運命のなせる技なのではないのか。


徐々に逆ギレ思考に支配されながら、アスランは必死で自己を正当化しようと努力す る。
同じようにありとあらゆる心当たりを探り、それもこれもイザークの所為だと愚痴るディアッカ、ニコルも同じようなもの。
3人はそのまま渡り廊下を進み、宿舎の入り口へと差し掛かった。




「……つーか、何アレ?」


エントランスに足を踏み入れた瞬間、3人はいつもとは違う光景を目の当たりにする事となった。
何が変わっているわけでもない。
広いエントランスにある休憩所の、そのソファの数が減っているわけでも、増えているわけでもない。
停電をしているわけでも、ない。
しかし、思わずディアッカが呟きを漏らしてしまうほどに、そこは妙な具合になっていた。

朝であるはずなのに、全面ガラス貼りのエントランスが、異様に陰りを帯びている。
窓という窓が真っ暗に染まり、中にいる者にとって、さながらそこは真夜中のようであった。
まるで遮光カーテンでもひいたような、窓、窓、窓。
朝一番にここを出た時には綺麗…とまでは言わないまでも、一応透き通っていた窓が今、真っ黒になっている。

3人は目を瞬かせてその光景を見渡し、すぐに犯人に辿り着いた。

エントランスの隅っこ、唯一光の差し込む窓のところに、陽の光を反射してキラキラと光るものがある。
サラサラと流れる絹糸のようなそれが僅かに揺れ靡く度、光を反射して彼の存在をより強調していた。

「何やってるんですか、あのひと…。」

遠くに見える銀糸の持ち主を確かめて、ニコルもボソリと呟く。
アスランに至っては言葉も出ず、ただポカンと口を開けていた。

それもそのはず。
このエントランスの窓という窓を真っ黒に染め上げていたのは、今頃自室に戻って通信を受けているはずの、イザーク・ジュールその人であったのだから。

イザークは、低めの脚立に腰かけて、スクイジーを窓に走らせている。
ディアッカが恐る恐る近付いても全く気付く気配を見せず、片手にスクイジー、片手に靴墨をしっかりと握って、せっせと窓を汚していた。
ニコルも側に立ってイザークを覗き込んだが、イザークは全く気が付かない。
アスランが手をのばして、彼の目の前でひらひらと手を振っても、イザークは無反応だった。
唯ひたすらに靴墨で窓を拭いて、遠くを眺めている。
そんなイザークに、3人は顔を見合わせて眉を顰めた。


「どうりで食堂に姿を見せないと思ったら…。」
「これって、もしかして窓拭きのつもりでしょうか?」
「はぁ?靴墨で窓拭く馬鹿がいるか?」
「ここにいるだろう。その典型が。」


アスランを皮切りに、3人はひそひそと囁き合う。
ぼ〜っと、どこか虚ろな眼差しで、目に映るものではなく全く違うものを見ているイザークは、誰がどう見ても様子がおかしかった。
いつからここでこうしていたのか。
真っ黒に染まった窓の数から、彼が朝からずっとここでこうしていたのだろう事が、容易に想像できた。
朝から…そう。イザークが、キラの正体を知ってしまった後から。
キラが行った後、ニコルに強引にスクイジーを押し付けられてから。
イザークはずっとこうして、窓を汚していたのだろう。

ディアッカは何だか面白くなって、いつイザークが気付くのか見届けたい気持ちにかられたが。
すぐに、そうもしていられないという事を思い出した。

「おい、イザーク!放送、聞こえてなかったのか?通信が入るから、自室で待てってよ。」
「………………………。」

脚立に座ったままのイザークを揺すぶって、ディアッカが声をかける。
しかしイザークは揺すられるがままに頭を揺らして、スクイジーを動かし続ける。

「おいって!多分お前ん家からだって。俺も呼ばれてんだから、行こうぜ。」

「………………………………………。」

「イザーク!」

「……………。」

耳もとでがなりたてても、イザークは少しも反応を示さない。
最初こそ吹き出しそうになった3人も、彼の異常さを何だか無気味に感じ始めた。
キラの事は、驚いただろうと思う。
まさか、自分がさんざん拒絶した『キラ』こそが、探し求めていた女医であったなんて。
取り返しのつかない間違いをしたと、後悔したことだろう。

しかしディアッカにとっても、ニコルにとっても、アスランにとっても。
まさかイザークがここまで変な具合になってしまうとは、思っていなかったのだ。
まるで自身を見失ってしまったように唖然としている彼の姿に、一種同情のような…いや、呆れの感情が強くなる。
もしかしてイザークは、キラの言った通り意外に神経が細かったのかもしれないと、ニコルは思った。

「いいのかなぁ〜キラからかもしれないのにさぁ。」

最後の手段とばかりにディアッカがその名を口にすると、ぼうっと焦点のあっていなかったイザークの瞳が、ぱっちりと見開かれる。

「……キラ?」
「そうそう。癪だけど、キラってホントお前に惚れてるからさ、謝っちまえばそれで円く収まると思うぜ?ま、お前のかーさんの説教つきかも知んねーけど。だからさっさと行って済ましちまおうぜ。お前が行かなきゃ、俺達もどんなとばっちりを食うか …。」

ブツブツと愚痴ったディアッカに、アスランもニコルもうんうんと深く頷いた。
それに、イザークは再び視線を泳がせ、俯く。

「あーもうやめろよ、らしくない行動は!見てるこっちが萎えちまうぜ。ほら!行くぞ!!」
「………かない…。」
「……は?」



「俺は、行かない。」



はっきりとした口調でそう言ったイザークを、ディアッカとニコルは信じられないという目で見て。
アスランだけは、ふっ…と小さく息を吐いた。



*************


「はぁ?何言ってんの、お前?」


イザークの言葉の意味を計りかね、ディアッカが顔をしかめると。
イザークはまたスクイジーを動かし始める。
のろりと、緩慢な動作で手にしたものを窓に吹き掛けて、そこから出てきたものに目を円くした。
どうやら、ようやく気付いたらしい。
びくっと肩を揺らし、スプレー缶を取り落としたイザークは、自分が今迄磨いていたはずの窓を見渡して、ぽかんと口を開いた。

「何で窓がこんなに汚れてるんだ!?」

お前がやった事だろうが…
と、一同は一斉に突っ込んだが、あんぐりとするイザークは至って本気のようで。
魔法か何かを見たように放心してしまっている。
それに彼の動揺のほどが伺えて。
ディアッカは、ニコルやアスランと顔を合わせて肩をすくめた。

「黒い雨でも降ってきたんだろ。後でまた磨けよ。とにかく今は通信、通信。」

脚立の上ですっかり呆然としてしまったイザークを、ディアッカは軽々と担ぎあげる。
我に返ったイザークが肩の上で暴れたが、もう慣れっこになってしまっているだけに、ディアッカはびくともしなかった。

「放せっディアッカ!!俺は行かないと言ってるだろうが!!」
「何わけの分からない事言ってんだよ。お前が行かないと、俺達が困んの。」
「そんな事知るかっっ!!」
「こっちこそ知らねぇよ。お前の分まで説教食らうなんて、ごめんだ。」

じたばたと暴れる足にもものともせず、ディアッカはやれやれと溜息をつきつつ歩きだす。
結局こういう役回りかと半ば諦めつつも、ディアッカ他2名は、イザークを自室まで連行していった。

「じゃあ頑張って下さいね、ディアッカ…。」

別れ際、ニコルは心底気の毒そうにディアッカに手を振る。

「おい、お前等…逃げんなよ。」

そんなニコルと、しれっとした表情のアスランを見返して、ディアッカは自分とイザーク、2人の相部屋へと姿を消した。
はぁ…と深い溜息をつき、ニコルもアスランと部屋へ戻る。
それぞれに、今日一日はこれで全て費やされるのでは、と予想しながら。




コツコツコツコツ…と、連続した短い音がその場に響く。
エザリアは肘をテーブルにつき、その手で顎を支えて、イライラと落ち着きなく指を鳴らしていた。

和やかとは言い難い朝食のあと、パンやカップが並んでいた小さなテーブルには今、一台のノート型PCがある。
それに向き合って、一向に変わらない画面を鋭く睨みつけながら、エザリアは1秒に10回という恐るべき早さでテーブルを叩いていた。

キラはエザリアの正面に座って、そわそわと目を泳がせている。
どうしていいのか分からなくて、目のやり場にすら困った。

「遅い…っ!一体あいつは何をしているんだ…っ!?」

テーブルをひっくり返さんばかりの勢いで立ち上がったエザリアに、キラがびくっと肩を竦める。
エザリアはカツカツカツとヒールを鳴らし、今度はテラスを右往左往し始めた。
目を釣り上げて腕を組み、我慢ならないほどの苛立ちを露にしているエザリアの前で、キラはじっと俯きながら、彼女の靴音をきいて。
不安で不安でたまらなくなった。

イザークが、自分の所為で怒られるような事になったら、どうしよう。
自分の所為でエザリアとイザークが喧嘩をするような事になってしまったら。
イザークには別に好きな人がいるというのに、無理矢理この婚約を承諾させられるような事になったら、どうすればいいんだろう。
断れない状況に追い詰められて、イザークが不幸になるような事になったら、一体これからどうすれば…。

内心、そうなる事を望んでいる自分を隅に感じながら、キラはそれよりも強く、イザークの意思が尊重されるようにと願った。
自分はもういい。
いいんだと、何度も心に言い聞かせながら、苦しさに胸が潰れそうになる。
イザークを抱きしめた時、身体いっぱいに感じた彼の体温、質感が思い出されて、それを手に入れる事ができなかった淋しさに、胸が張り裂けそうだった。

でも、もう決めたから。
自分は彼の姿の見える距離で、ずっと彼を見守り続けるだけで、もう充分だから。
それを生きる糧として、自分を納得させる事にしたのだから。

イザークの為に何でもしようと思った。


「エザリアさま。………今迄よくしていただいたのに、申し訳ありませんが…。」

静かに顔を上げたキラに、エザリアはぴたりと動きを止める。
訝し気にキラの顔を見て、次の言葉を急かす事もなくじっと待った。
キラは一瞬迷って、唇を噛む。
ぶかぶかのそで口を握りしめて、一呼吸間を置くと、真剣な眼差しでエザリアと向き合った。


「僕…イザークさまとは、結婚できません。」


低く、はっきりとした口調で言ったキラに、エザリアは少し驚いたように目を見張ったが、動揺などは見せる事なく静かに席につく。
PCに応答がないのを確認して、脇へと寄せると、キラにそっと手を差し伸べた。

「…どういう事?イザークでは、気に入らない?」

首を少し傾けて、エザリアは穏やかに問いかける。
そのエザリアの手に、キラをおずおずと自分のを重ねて、また息を吐いた。

「いえ、そういう事では…。」
「イザークが、酷い事を言った?」
「……。」
「それなら、私が謝るわ。あの子、誰に対してもそうなのよ。黙っていればいい事を、何でも口に出してしまうの。今迄にも女の子を随分と泣かせて…そういう風に育てたのは私よ。許してね。」
「いえ…そんな…、そういう事じゃないんです…。」


分かってる。
そういうのは、言葉のアヤだ。
イザークの言う事は、本当に相手が憎くて言っているんじゃない。
ただ、自分に素直なだけ。
それを表現するのに、誤解を生みやすいだけだ。

でも、だからこそ。
彼の言葉は全て真実を映しているのだと思った。


キラは少し震えた手を気取られまいと握り込むことで抑える。
しかしエザリアがそれを許さず、キラの指を開かせて、自分の手としっかり繋ぎ合わせた。
少し体温の低い手が、心地良い。
キラもエザリアの手をしがみつくように握り返して、ズキズキと痛む心と必死で戦った。

「じゃあ、何?イザークの性格が気に入らない?貴方が想像していたのと違っていた?イザークの事が、嫌いになった?」

…確かに、想像とは随分違っていた。
ちょっと傲慢で、ちょっと我侭。
エザリアから教えられたイザークの性格は、実際にはそれを上回るほどに激しくて。
優しくなったり、厳しくなったり、コロコロとその表情を変える。
理解できないところも沢山あるけれど、恐い思いも悲しい思いもしたけれど。
不思議とキラは、イザークを嫌いだとか疎ましいとか、そんな事を感じた事はなかった。
ただ感じるのは、受け入れて欲しいという、強い欲求だけ。
自分で自分が不思議に思えるくらいに、まるで心ではなく、遺伝子がイザークに恋をしているように、引き寄せられてしまう。


「あの子は本当にいい子よ。軍に入ってしまってからは会ってないし、手を焼かされるけれど…小さい頃はとても素直で、いい子だった。何か悪いところがあるなら、私から叱っておくから…。」
「分かってます、エザリアさま。イザークさまはとても良い方です。」
「なら…!イザークには、貴方でなきゃ駄目なのよ。あなたの遺伝子じゃなきゃ…。」
「もしよければ、僕の卵子を差し上げます。イザークさまのお相手が了承してくださるなら、それで………。」
「イザークの……相手?」

なだめるような姿勢をとっていたエザリアが、急に語気を強める。
それにキラは、しまったと慌てて口を噤んだ。

「イザークの相手って?一体どういう事なの?」
「いえ…あの……。」

咄嗟に放そうとした手を更に腕ごと握られて、キラは息をつめた。
エザリアの目が、再び怒りを孕む。
それに全身から血の気がひいていく思いがして、キラは何とか取り繕おうと言葉を探した。
エザリアの理解を得ていないうちから言うべきではなかったと後悔して、心の中でイザークに謝罪を繰り返す。

「どういう事!?イザークに…イザークに、恋人がいるという事か!?」
「ち、違うんです…っ…!今のは単なる例えで……その…っ…!」
「正直に言いなさい!イザーク本人が、そう言ったのか…!!!?」

ガタンッと席を立って、エザリアが詰め寄ってくる。
その勢いはイザークに追い掛けられた時の比ではなく、キラはもういっそ泣き出したくなった。

「イザークに恋人が?だから身をひくというのではあるまいな!?まさか、あいつから言い出したか!!?」

どんどん深みへはまってゆく。
キラは、これ以上何を言っていいかわからずに、怒りゲージの溜ってゆくエザリアを見守っていることしかできなかった。

「キラ、正直に言え!イザークに何て言われた!?その相手とやらに会ったのか!?」
「いえ、会ってはいませんが…っ…エザリアさま、落ち着いてっ…!」

エザリアが身を乗り出してくる分、キラも後ろに身を引いて。
もう二進も三進も行かない…という所まできたとき。


ピピピッと、PCが小さく音を立てた。


真っ暗だったモニターに明るくなり、一瞬にして画面が切り替わる。
そこに現れた姿を認めて、キラはあ、と声を漏らした。

「イザーク……!!!!」

前のめりにキラへと迫っていたエザリアは、途端PCへと攻撃の手を伸ばす。
モニターにかじりつく勢いで身をよせて、そして映し出されたわが子の姿に怒鳴った。

「お久しぶりです、母上。」

それに反して、冷静かつ穏やかな声がきこえてくる。
キラはハラハラとして立ち上がり、ごめんなさい、ごめんなさいと何度も心の中で叫んだ。

「貴様!!一体どういう事だ!!!?恋人がいるというのは本当か!!?」

机をバンッと叩いてエザリアが怒鳴ると、イザークの隣で敬礼をしていたディアッカが後ろへ倒れかける。
しかしイザークだけは全く動じることもなく、敬礼していた手をゆっくりと下ろした。
静かなアイスブルーの瞳が、キラの涙に潤む瞳とぶつかる。
ドキリとしてキラが目を逸らすと、イザークは少しの間目を閉じて、それからまた静かに言った。



「私は、母上の決めた婚約者とは結婚しません。…婚約の破棄を、お願いします。」



低い声音で放たれたイザークの一言に。
エザリアだけでなく、画面の向こう…イザークの隣に立っていたディアッカも、覚悟を決めていたキラでさえも、瞠目した。



*************


正直ディアッカは、今日程イザークの事がわからないと思ったことはなかった。

それこそ小さい頃から一緒にいて、彼の行動パターンというものは全て理解しているつもりだ。
人一番負けず嫌いで、負けを負けと認めたがらない。
気に食わないと思うことには正直で、すぐに人にあたったり物にあたったり、驚くような大胆な行動に出る。
早とちりで気性が荒く、すぐにムキになって冷静さを欠く。
男だろうが女だろうが、気に入らないものは気に入らない。
嫌なものは嫌。
そうはっきり、物事を別けるタイプだ。
それだけにきっと、好きなものには好きだと、欲しいものは欲しいとはっきり告げる 事のできる奴だと、ディアッカは思っていた。
今までに彼のそんな所は見たことがなかったが、キラのことでそれが証明される。
一方的すぎた自分の暴走に対して素直にキラに謝罪をし、好きだと告げる。
本当に想像でしかなかったけど、ディアッカはそう信じて疑わなかった。

イザークは、キラに謝る。
それが母に説教されて後の事になるかどうかは置いておいて、とにかくキラに一言詫びるだろうと。
そしてキラは涙ながらにそれを許し、二人は晴れて仲直り。
それで終幕だと、ディアッカもニコルも、そう思っていたのだ。

なのに。


-----婚約を、破棄する…。


エザリアに向かってそう言い放ったイザークは、先ほどの腑抜けた様子など嘘のようで。
毅然とした、いつもの彼に戻っていた。
敬礼をし、怒鳴るエザリアに動じることなく、エザリアの隣に映るキラの姿を確認して。
婚約の破棄を……
耳を、疑った。
いっそさっきの調子でそれを言われたのなら、正気に戻れと突っ込んでやる事もできただろう。

しかしイザークの表情は、とても混乱をきたしているように見えるものでなく、その言葉が本心からのものである事を表している。
じっとエザリアの顔を見据えて、挑戦的ともいえる眼差しで画面に向かって。
そんなイザークに、ディアッカは何を言っていいのかわからなかった。

エザリアもそれは同じようで、回線越しにイザークを見つめたまま、固まっている。
エザリアの少し後ろで控えていたキラに至っては言うまでもなく、俯いてがっくりと肩を落としていた。
泣いているんじゃないだろうか。
ディアッカは口が出せないぶん、そればかりが心配になる。
できる事なら、今すぐキラの耳を塞いでやりたい。
これからイザークが言うだろう訳の分からない言い訳から、キラを守ってやりたい。
キラとイザークの縁が切れたのは望んでいたことであったが、同時にこの酷すぎる仕打ちにキラをさらしておきたくないという気持ちもあった。

キラが何でも言い返せる、それこそ男勝りな女性であったのならいい。
しかし、あれだけ盲目的にイザークに想いを寄せていたキラが、中庭で寂し気に笑った彼女が、これ以上の暴言に耐えられるとは思えなかった。
今もきっと、イザークの最終通告にショックを受けているに違いない。
それを思うと、どうにももどかしくて。
ディアッカはエザリアが早く何かを言ってくれはしないかと焦れた。



「貴様…っ…自分が何を言っているのか、わかっているのか!!?」

その時、気持ちが通じたのではと思えるほどのタイミングで、エザリアが声を上げる。
唇をわなわなと震わせて目を釣り上げたエザリアは、イザークが冷静なぶん怒りに燃えて、バンッ!と力いっぱい机を叩いた。
ガタガタとエザリアを映していた画像が大きく揺れる。
スピーカーから聞こえてきた大きな音に耳を塞ぎ、ディアッカは肩を竦めて心の準備をした。
イザークの意図がわからない今、ここは母である彼女に任せるしかない。
そう思って一歩、二歩と後ずさると、逆にキラがエザリアに歩み寄るのが見えた。

「エザリアさま、落ち着いて…っ…!」

どこか上擦った、小さな声が聞こえてくる。
しかし意外にもキラの表情は穏やかなものだった。
今始まったことでないだけに、彼女も覚悟をしていたのか。
そう思えるほどにキラの態度はしっかりとしていて、ディアッカは素直に驚いた。

「イザークさま、そのお話は、僕からもエザリアさまにお願いしていたところですから…。僕は異存ありません。どうか、気に為さらないで…」
「私は了承した覚えなどない!!」

どこか固い口調でそう言ったキラを、エザリアは鋭い声ではねつける。
イザークはわずかに眉根を寄せ、苦し気にキラを見たが、すぐにエザリアに視線を移した。

「私の選んだ相手とは結婚しないとは、どういう意味だ!!?お前とキラの婚姻は、キラが生まれてすぐにヒビキ夫妻と取り決めた事だ!それを勝手に…!!」
「エザリアさま、ですから僕はもういいと…」
「よくない!!!!」

これ以上ないくらいに声を荒げて、エザリアはキラにではなくイザークに対して怒りをぶつける。
キラはどうすればいいのかと一瞬身を引いたが、それでもエザリアの側を離れることはなかった。

「お前がよくても、私が納得していない!私にも責任というものがある!!正当な理由なくして、納得などできるものか!!」
「お願いですからエザリアさま…怒らないで、冷静に話を…」
「私は冷静だ!お前は黙っていろ!!私はイザークと話をしてるんだ!」
「でも…っ…!」

エザリアの剣幕におされ、キラが口籠る。
どうしていいのかと助けを求めるように視線を彷徨わせて、その瞳がモニター越しにディアッカを見た。
後ろへ下がっていたディアッカは、キラに肩をすくめて合図を送る。
こういう時は関わらない方がいい。
それは、ディアッカも長年ジュール家に関わってきて、十二分に理解している。
そうでなくても、親子の小競り合いに第三者が口を挟むべきではないのだ。
ディアッカが暗にそう告げると、キラはまた開きかけていた口を閉じて顔をゆがめる。
キラが黙り込んだのに機会を得て、今度はイザークが口を開いた。

「自分のことは自分で決めます。何も、母上の名誉を傷つけるような事をしようというわけではありません。ただ俺は、自分の意志で行動したいだけです。その為に軍に入り、戦うことを選んだんですから。」

それは、知ってる。
イザークが軍に志願したのは、『血のバレンタイン』がキッカケではあったが。
その実何でもかんでも親が決めた道を辿るのに嫌気がさして、それから逃れたかったというのが根底にあった。
ディアッカもそれに同調し共に志願しただけに、イザークの気持ちは自分のことのように理解できる。
しかしそれは、あくまで決められた道が英才教育と帝王学にまみれ、つまらないと感じたからだ。
決められた道であろうと、それが好きだったなら拒む理由などなかった。
そう、好きなことだったら、誰が決めたことだろうとかまわなかった。
それは何にしても、そう。いつか決められるだろう、婚約者にしても。
相手を好きになれたなら、それが決められたものであろうと関係などない。
当初イザークが婚約を強く拒否したのは、相手への不安が大きかったからだ。
軍人の女だと聞かされて、どんな恐ろしい女だと想像を膨らませすぎたためだ。
でも実際現れたのは、想像を遥かに裏切るほどの儚い存在。
婚約者とも知らず、イザークは彼女に惹かれて……結果的には、何の問題などないはずだった。
なのにイザークは今、全てを拒絶しようとしてる。

ディアッカは次第に苛立つ気持ちを必死に抑えて、イザークの背をただじっと睨んでいた。


「軍に入った事はもう何も言わない!お前の将来はお前で決めればいい!しかしキラの事は別だ。キラのどこが気に入らない!?この子はお前に会うためだけに、軍に志願したんだぞ!!!」
「…………。」
「恋人がいるというのは本当か!?だから嫌だと、そう言うのか!!?」

え、とディアッカが目を丸くする。
どこでどう、そうなったのかは分からなかったが、キラの方でも何かしら誤解があるらしい事だけは分かった。
イザークも一瞬、心当たりを探るように眉根を寄せ…そして、昨晩キラに告白した内容を思い出した。

「恋人ではありません。ですが、好きな相手がいる事は事実です。」
「………はぁっ?」

少しの逡巡の後、イザークはまた毅然としてエザリアに言う。
それを聞いて、ディアッカは思わず気の抜けたような声を出してしまった。
じろりと、2対のアイスブルーがディアッカを睨み付ける。
エザリアは不粋な横やりに目を光らせ、イザークは黙れと無言で訴えていた。

「好きな相手だと!!!?どこの誰だ、そいつは!!名前を言え!!!」
「名前はまだ聞いていません。どこの誰なのかも、よく知らない。でも俺は、彼女にいつかプロポーズするつもりです。」

何言ってんの、この人……。

ディアッカは、この時ほどイザークの事が馬鹿に思えた事はなかった。

「名前も知らないだと!?そんな相手の存在など、婚約破棄の理由になるか!!だったらそいつを今すぐここに連れて来い!!!」
「今ここにはいません。」
「馬鹿な事を言うな!連れて来い!!今すぐにだ!!!」

怒鳴り散らすエザリアにむかって、頑にできないと言い続けるイザーク。
それもそのはず、その相手というのはすでにエザリアの後ろに立っているのだから仕方がない。
本当にイザークは、何を考えているのか。
まさか、キラの姿を確認してもなお、自分の探していた女医が別の人物だと思い込んでいるなんてことはあるまい。
もし、キラが単なる「そっくりさん」で、自分の想い人が他にいるのだと信じているとしたら、一度イザークの頭をおもいっきりどこかにぶつけて、そのどこまでも勘違いな頭を治してやりたいところだ。

延々と問答を続けるジュール母子を疲れた目で見て、ディアッカはもういいだろうと思った。
これ以上二人が言い争いを続けても、堂々巡りだ。

「あー…イザーク、もうその辺でよせよ。素直にキラが好きだって………」

ドスッ。ぐはっ。

途端自分を襲った激痛に呻いて、ディアッカはそのまま床に沈む。
いい加減回りくどい真似はよせと、ある意味助け船を出すつもりで口を切ったディアッカを、イザークは足で蹴りつける事によって止めた。
画面の外で行われた凶行に、エザリアはもちろんキラも何が起こったかなど気がつかない。
ただ二人の目には、ディアッカが画面から消えたようにしか見えなかった。

「エザリアさま、もうやめて下さい。イザークさまがそこまで想いを寄せていらっしゃるんですから…イザークさまの意志を尊重してあげてください…!」

同様にこの言い争いを見守っていたキラは、ディアッカが消えたと同時にエザリアに懇願した。
手を組んで祈るようにエザリアに縋り、なんとかこの場をおさめようとしている。
そんなキラが痛ましく思えて、エザリアは眉を潜めてキラを見遣った。

「お前は本当にそれでいいのか!?イザークには恋人がいるわけじゃない。名前も知らない女で、だたの片想いだ。それで本当にいいのか?」

問いかけるエザリアの声も、どこか頼り無くなって。
彼女もどうしていいのか分からないと言っているようだ。

「イザークさまが、その方を好きだというなら…それで十分じゃないですか…。婚約はなかったことにして、その方をこの家に……。」
「いいのかと言っている!!お前はイザークの事が嫌いか!?嫌いなら、私はもう何も言わない。」
「………。」
「何のために軍に入った?ただ会うだけで満足するためか!?仲間になるためか!!!?」
「………………。」

エザリアこそが縋るように聞いてくるのに、キラは手を組んだまま俯いている。
静かな女二人のやりとりをテレビドラマのようだと思いながら、イザークも、床でへばっていたディアッカも息を細くして見守っていた。

「お前が婚約を解消して欲しいというなら、私はかまわない。お前には他に相手を探してやる。」
「………そんな…もう、いい……」
「イザークの言うことなど、聞かなくていい。貴方がどうしたいかを教えて。軍に志願した時のように、思ったことを言えばいいのよ。もっと我が侭を言って頂戴。」 「やめてくださ……」

キラの瞳から、大粒の涙がこぼれ出す。 ポロリ、ポロリと頬を伝う間もなく下へと落ちる涙を見て、エザリアは言葉を失ってしまった。

「もう…やめてくださ……僕…そんなの、わからな……」
「キラ……。」
「だって、だって僕、イザークさまの気持ちなんて、考えてなくて……エザリアさまの言って下さることが当然だって思ってて…でも、もう……わからないんです…」
「……。」
「イザークさまの事が、すき………です…でもそれはイザークさまには、関係のないことだから……僕、いいんです……っ…!」

手を口元にあて、本格的に泣き出したキラを、エザリアはそっと抱き寄せて頭を撫でる。

ディアッカからは、イザークがどんな顔をしているかなど知る由もなかったが、後ろから殴り飛ばしてやりたい衝動にかられた。
イザークが何を考えてあんな事を言い出したのかは未だに分からない。
でも、今キラが泣いているのは、確実にイザークのせいだ。
猛烈にイザークへの怒りが込み上げ、衝動のままにつかみかかろうとしたディアッカは、次にスピーカーを通して聞こえてきた声に動きをとめた。
エザリアはキラの頭を撫で、その胸に抱きながら、モニターを睨む。
その瞳は、先ほどまで怒りに燃えていた目とはうってかわって静かだったが、そのぶん鋭さが桁外れだった。




「勘当だ。その面、しばらく見せるな。」



ガシャンと鋭い音が鳴り響き、画面に砂嵐が走る。
それきり途切れた通信に、ディアッカは唖然とした。

親子の間柄で、これ以上の制裁はない。
イザークは、なんて馬鹿なことをしたのだろう。
静かに立つイザークの背を見つめて、ディアッカはかけるべき罵倒の声も何もかもを失ってしまった。



-----『そうすんなりいけば、いっそ諦めがつくんだけどな…。』



この時になってようやく、アスランの言ったことが当たってしまったのだと気付く。
静かになった部屋でしばらくそうして、ディアッカは小さく言葉を吐いた。



「最悪だな。」



そうでもない、と。
小さく呟いたイザークの声は、ディアッカに届くことはなかった。




*************


「よう、お前ら助かったろ?」

最悪の結末を迎えた後、無言のイザークを連れて部屋を出たディアッカは、廊下の先でアスランとニコルに行き当たった。
どっと疲れた分、半ば八つ当たりじみた態度で声をかけると、ニコルも空ろな瞳を上げる。
一度アスランを振り返ったニコルは、ふぅっと息を吐いて肩をすくめた。

「ぜんぜん助かってませんよ。そっちは誰だったんですか?」
「予想通り、イザークの母さんだよ。お前らんとこ、通信なかったんじゃねぇの?」
「相手が違いますよ、相手が。何せこっちは………」
「ニコル。」

まるで愚痴を言うかのように喋り出したニコルを、アスランの声が低く制止する。
それに言葉を切ったニコルは、またはぁっと溜息をついた。

「そちらは何があったんですか?」

仕方ないとばかりに話を切り替えたニコルに、ディアッカも疲れた目を背後へと向ける。
形だけつき従うように歩いていたイザークは、ディアッカが足を止めたのに気付いているのかいないのか、全くの無反応。
そのまま自分を追い越して行ってしまったイザークを見送り、ディアッカも肩を竦めた。

「こっちはもう、いくとこまでいったってかんじ?」
「幸せすぎて惚けてる…ってわけじゃないですよね?」

俯き加減で去ってゆくイザークの背を見遣り、ニコルと、そしてアスランも首を傾げる。

ディアッカは大袈裟に首をふって見せ、イザークの後を追うようにして歩き出した。

「その方がいっそ、スッキリしてよかったぜ。俺、あいつの事馬鹿だと思ってたけど、度を超えてるよ。もう付き合ってられねぇっての。」
「馬鹿の下なんて、ありましたっけ?」

冗談めかして笑うニコルをジロリと睨んで、痛む頭に手を添える。
アスランとニコルが不思議そうに顔を見合わせたのを横目に見て、ディアッカは自分が見たありのままを、二人に聞かせてやった。



「勘当って……。」

ディアッカが結末を話し終えた後、途中唖然と話に聞き入っていたニコルが声を漏らした。
アスランも目を見開いて、言葉を失っている。
ディアッカは後頭部を両手で支えて、天井を仰いだ。

「キラ、泣いてたしさぁ…俺、何か罪悪感湧いてきた…。」
「どうしてですか?悪いのは、全部イザークじゃないですか。」
「…だけどさぁ…邪魔なんかせずに、背中押してやりゃあよかったなぁ…なんて。そりゃあ、キラをイザークにやるのは癪だけど、勘当だぜ、勘当。これからあいつ、どうなんだよ?全部失っちまって、終わりってわけ?自分で蒔いた種とはいえ、何かさぁ…。」
「そうですね…勘当となれば、結婚どころじゃなく、一生の問題ですしね…。」

しみじみと言ったディアッカに同調して、ニコルも何やらしんみりとした気分になる。
それを考えてしまったら、あの時もっと…とか、あの時言ってやれば…とか、次々と心当たりが浮かんできて、ますます罪悪感が募った。

それぞれに後悔を呟き始めたディアッカとニコルとは別のところで、アスランも独自の思考を巡らせる。
しかしいくら思い返しても、アスランの中では二人のような罪悪感は少しも浮かんでは来なかった。
それどころか、初めて彼と出会った時以来薄れていた、イザーク対する嫉妬が首を擡げた気がした。

勘当とは、ディアッカやニコルが思うように、何も悪い事だけではない。
確かに大きな権力をもつ親の支援を受けられなくなる事は、何かと苦労のもととなるだろう。
しかしその分、手に入るものもある。
『自由』という、今まで得難かったものが。
誰に何を言われる事もなく、自分の意志のみを優先できる。
イザークほどの実力があれば、自分で働いて食べてゆくのに、困ることはないだろう。
そして、結婚をする、相手にしても。

イザークが何を考えているのかと問われたら、アスランにもそれはよく分からない。
でも結局、何がしたいかは、分かったような気がした。
自分とて一度は、キラを手に入れるために変えてはならないものを変えようとした。
イザークはそれを、押し通そうとしているのではないか。
ただイザークが自分と違うところは、あまり器用にかわせるものをかわせないと言うことだ。他人に目的が伝わりづらく、ひとりよがりで自分本位。
そして、いつまでたっても変わらない、対抗意識がそこにある。

あれやこれやとぼやき続けるディアッカとニコルの傍らで、アスランは小さく溜息をついた。
手を貸してやろうだなんて、死んだって思わないけれど、しばらくは傍観者に徹してやろうと思う。
…いや、今のアスランには、そうせざるを得ない事情があった。
イザークが自由になったその時、アスランの首にはしっかりと、今までよりもずっと太い枷がはめられてしまったのだから。

その話はきっと、いつか『彼女』の口からにこやかに語られる事だろう。
キラとはまた違った微笑みで人々を魅了する、もう一人の婚約者様によって。

「勘当なんて、酷すぎます…!!!!」


一方、通信の途絶えたジュール邸では、キラによる必死の嘆願がなされていた。
感情のままに言葉を吐き、イザークの言い分を聞きもせずに一方的に暴言を吐き捨てたエザリアに、キラは涙をぽろぽろと流したまま、詰め寄っていた。

不機嫌にカツカツと廊下を歩くエザリアを、キラは小走りに追い掛けて、悲鳴に近い声で叫ぶ。
それから逃れるようにエザリアは足を速めて、意味もなく屋敷の中を歩き回った。
広い邸内に、キラの声と靴音が響き渡り、ジュール家の一大事に使用人がオロオロと様子を見守っている。
エザリアは何を言うこともなく、ただ歩き回って、積もりに積もったイライラを発散しようとしてるようだった。

「取り消して下さい、エザリアさま…!!親子の縁を切るだなんて、そんなこと…っ!!僕はいいって言ってるんですから、どうしてイザークさまの言うことを聞いて下さらないんですか!?血の繋がった肉親じゃないですか!!」

ゆるやかな階段を昇り、また降りて、何度も行き来した所をカツカツと歩き回る。
キラもぴったりとそれに続いて、エザリアの腕にしがみついた。

「放しなさい!どの道、イザークの次の世代はいないかも知れない!あいつが勝手にすると言うのだから、放っておけばいいんだ!!ジュール家はお前の相手に継がせることにする…!!」
「心にもない事を!だったら僕が出て行きますから!!イザークさまと仲直りをして下さいっっ!!こんなの、おかしい…!!!」
「放しなさい、キラ!!」
「い や で す っっ!!!!」

エザリアの腕にしっかりと手を巻き付け、キラは足を踏ん張ってその場に留まる。
そのまま床に座り込み、ズルズルと引きずられながらも必死にエザリアに縋りついた。

「僕は他人なんですから!そんなに気をかけてもらえる資格なんてありません!こんな事になって…僕、どうしたらいいんですか!!?」
「資格など、どうでもいい!イザークにはお前しかいないんだ!!あいつが他など連れてきたら、私は撃ち殺すかもしれん…!!」
「だから、僕の卵子を差し上げますと言っているのにッッ!!」

「キラ!!」


いきなり手にかかっていた重みが消え、キラはあっと床へ尻餅をつく。
そこへエザリアが押し倒す勢いで迫ってきたのにドキリとして、息をつめた。
真摯なアイスブルーが真直ぐにキラを見つめる。
怒りを孕んだ瞳は、有無を言わさぬほどの力があって、キラは大人しくされるがま ま、エザリアを見つめ返した。

「もう一度そんな事を言ってみろ。いくらお前だろうと、私が手を上げないという保 証はないぞ。」

声音低く言われ、涙に視界が歪む。
悲しさより恐れより、エザリアの言葉が嬉しくて、でもその分、自分の所為でイザー クとエザリアが仲違いをしたのかと思うと苦しくて。
キラは懇願せずにはいられなかった。

「キラ、貴方には分からないでしょうけど、あなたのご両親には本当に世話になっ た。彼等と知り合っていなかったら、イザークも生まれて来なかったでしょう。こう いう言い方は無神経かもしれないけど、貴方は私達のための存在だわ。その貴方を手 放すだなんて…例え貴方が望んでも、できない相談なのよ。」
「でも…でも、イザークさまが…!」
「きっとあの子も混乱しているだけよ。急な話だったから…あの子が謝って来るのなら、私は許すつもりよ。」
「…ほんとうに?」
「ええ、もちろんよ。」

にっこりと優しく笑んだエザリアに、キラは涙を止めて首を傾ける。
その愛らしい仕種に目を細め、髪を梳いて、エザリアはキラを立ち上がらせた。

「そうだわ。ねぇキラ、いい方法を思い付いたの。イザークが言うことを聞かないなら、病院へ連れて行きましょう。そして、イザークの精子を絞りとるの。人工受精はあまり気が進まないけれど、それで貴方が妊娠してくれれば、ジュール家は安泰だわ。」
「え゛。」

あくまでにこやかに笑み、とんでもない事を言い出したエザリアに、キラはぎょっとして青ざめる。
見ると、エザリアの笑みはそこはかとなく陰りを帯びて、とても純然たるものとはいえなかった。

そのままの調子で今後の計画を語りだし、すっかり悦に入ったエザリアは、逃げをうつキラの肩を抱き、暗示をかけるがごとく、とても善良とはいえないような思考を植え付けようとする。

キラは、イザークがエザリアと和解する事が果たしていいことなのか、悪いことなのか、分からななってしまった。
戻って来ても、来なくても。
どちらにしても、イザークにとってあまりいい結果にならない気がする。

「キラ、たくさん泣いて疲れたでしょう?何も心配せず、ゆっくりと休んで頂戴ね。ここの部屋を貴方にあげるわ。」

呆然とするキラを部屋まで案内して、エザリアはひときわにこやかに笑む。
何も言えずただそれを受け入れて、キラは閉じてゆく扉をただ見送った。


カチャリ、ピピッ


アナログな音と、小さな電子音が後に続いて。
キラは広々として豪勢な部屋の真ん中で、ぽかんとする。



「…イザークさま……。」



がくりと絨毯の上へ座り込み、キラはポツリとごめんなさい、と呟いた。



*************


夕刻になって、日も傾き始めた頃。
イザークと一緒になって施設中の窓という窓を磨き上げたアスランは、深い溜息と共に自室へと戻ってきた。
『先に夕飯行ってきますね〜』と、ディアッカと共にさっさと食堂に行ってしまったニコルに、薄情者…と心の中で呟いて、アスランは夕飯前にするべきことを片付け る。
汗を吸って気持ちが悪かった着衣を全て脱ぎ、ランドリー行きのカゴに入れて。
凝った首と肩を揉みほぐしながら、狭いシャワールームへ入る。

朝からずっと使い物にならず、窓を汚し続けたイザークのおかげで、その日はいつもの何百倍も疲れた気がした。
イザークの様子があまりにぼうっとしているから、ちゃんとやれだの、洗剤はそっちじゃないだの、口煩く言ってはみても。
イザークは曖昧な返事を返すだけで、全く張り合いがない。
いつもなら、何十倍にする勢いで五月蝿いだの、腰抜けだのと言い返してくるはずなのに、今日のイザークは借りてきた猫のようなおとなしさだった。
ぼうっと窓の外を眺めては、溜息。
スクイジーを窓の外地上10mの位置から落し、下にいた者を失神させては、溜息。

その様子が鬱陶しくて鬱陶しくて、何度窓から突き落としてやろうと思ったことか。
とろんと細められた瞳は遠くを見て、その先にある誰かの影を追っている。
それが誰なのか分かっているだけに、アスランは余計にイライラと神経が逆立った。

ディアッカではないけれど、度を超えていると思う。
今のイザークは、完全に現実というものを放棄しているようにしか見えなかった。


ばしゃばしゃと乱暴に顔を洗って、今日一日の蟠りごと洗い流したアスランは、タオル一枚をひっかけた状態でシャワールームからあがる。
髪を拭き、はぁ…とまた溜息をついた所で、ピピピッと聞き覚えのある電子音を耳にした。
見ると、それはアスラン個人で所有している小型PCからで。
何かと思いモニターを見ると、着信が一件入っていた。

施設の通信機器を通さず、直接かかってきたそれに、アスランはギクリとする。
まさか、昼間の人物が再びかけてきたのではと思い、一瞬受信を躊躇するが、発信者の名前が表示されたのを見て、更にぎょっとした。

発信者:イザーク・ジュール

そう、ハッキリと表示された名に、アスランは我が目を疑ってしまった。

何だ、どうしてイザークが自分の個人ナンバーを知ってるんだ。
いやそれより、どうして同じ棟にいるはずなのに、わざわざ通信手段など介してくるんだ。

混乱して、意味もなく周囲を見回し、アスランはこれに出るべきか否かを考える。
どうしてとか、何の用だとか、出たら出たでどういう顔をすればいいのか、とか。
ぐるぐると迷っている間にもコール音は鳴り響き、まるで『出るまでいつまででも待ってやる』と言われているようだった。

ひとしきり考えを巡らせて、アスランは仕方なくエンターキーに手をのばす。
緊張した面持ちでゆっくりとキーを押し、目を閉じて。
次に瞳を開いた時、映っていたものに、驚愕した。


『あっ…』


小さく声を上げた唇は、綺麗な桜色。
宝石のような瞳は大きく見開かれて、アスランを見ている。
僅かに驚きを露にしていた相手の表情が、嬉しそうに笑ったのを見て、アスランはぽかんと口を開けた。

『よかったぁ、繋がった!!』

心底ほっとしたように胸を撫で下ろした彼女は、ぶかぶかのシャツを着ている。
覗き込むようなその体勢から、胸のあたりが見えそうで見えない、チラリズムを醸し出しているのに絶句して、咄嗟に何を言っていいのか分からなかった。

「キ、キラ…?」
『あっ、ごめん。お風呂入ってたの?』

小首を傾げて、キラが何でもない顔で言う。
それに、自分が裸のままだった事に気付いて、アスランは慌てて替えのシャツをとった。

「キラ…何で…?」
『ごめん。僕、アスランの連絡先しか知らなくて…。』
「というか、それ、イザークのPCじゃないのか?名前が出てたけど…驚いたよ。」
『えっ、本当?良く分からない…部屋にあるのを使ってるだけだから…。』

キラはきょろきょろと辺りを見回して、また首を傾げる。
その様子には、今朝見た陰りなど微塵にもなくなっていて、アスランは少し安心した。

「どうかしたのか?まだイザークの家なんだろ?軍にはいつ戻って来るんだ?」
『それがね、困ったことになって…僕、どうしていいか分からなくて…。』
「え?」
『僕、閉じ込められたみたいなんだよね…。』
「………はい?」

おずおずと言ったキラの言葉に、アスランは目が点になってしまった。

「閉じ込められたって…どういう…」
『ドアが開かなくて…エザリアさまが、軍に戻ちゃダメだって言うんだよ。』
「何でそうなるんだ?イザークと婚約解消になったんだろ?それでイザークは勘当されたって、ディアッカから聞いてるけど…。」
『あ………うん………。』

急に声をおとしたキラに、アスランは禁句だったかと口を噤む。
しかし、その話なくしては先に進めないと思い直し、なるべくキラを刺激しないようにと優しく尋ねた。

「じゃあ、キラも自由だろう?もうイザークの家にいる必要もなくなったわけだし…ラクスに迎えに来てもらったら?」
『…………アスラン、来てくれない?』
「……え?」

遠慮がちに聞き返された、思いもかけないキラの言葉に。アスランは一瞬、動きを止めた。



「アスランが、迎えに来てくれない?ラクスじゃ、そっちに連れて帰ってくれそうもないし…もし、ちょっとでも時間があるなら、来て欲しいんだけど…。」

キラ自身、こんな事を頼んでもいいものかどうか、迷っていた。
そっちに戻りたいから、迎えに来てくれなんて、使い走りのような事を頼んでもいいのだろうか。
しかし、今のこの状況は、自分ではもうどうにもならなくて、アスランに頼らざるを得なかったのだ。

いくら宥めても…いや、宥めるまでもなく、エザリアはむしろ上機嫌でキラの言うことなど聞いてはくれない。
戻りたいと言えば、戻る必要などないと言われ。
考え直してくれと言えば、十分考えていると言われ。
逃げるつもりなどないというのに、逃がさないとまで言われる始末。
ふと、これがイザークだったら…などと思ってはみても、それは空しい空想としてキラを落ち込ませるだけだった。

与えられた部屋は広く、珍しいものが多くあった。
キラにはよく解らない古書の数々と、見たこともない織物。
それらを眺めてある程度の時間は潰れたが、余計に不安がました気がした。
いてもたってもいられず、部屋の中を物色し、ようやく一台の古びたPCを見つけて。

今、アスランと話をしている。

『俺が迎えに行くと、こっちに帰って来られるのか?』

訝しげに言ったアスランに、キラは伺うような視線を向けてお願いと、全身で訴えた。

「えっと…ほら、アスランのお父さんって、エザリアさまの上の人でしょ?だから…アスランが何とか…できない?だって僕、もともとエザリアさまの推薦でそっちに入れてもらったから…このままじゃ、イザークさまの側に……じゃなくって、クルーゼ隊に戻れなくなっちゃうから…。」

危うく漏らしかけた下心を打ち消すと、アスランがふぅん、とそっけなく返事を返し てくる。
それに焦って、お願いと手を合わせると、アスランはまるで射るような視線を投げかけてきた。
ギクリとして動きを止めると、アスランの端正な顔に笑みが浮かぶ。
キラは一瞬、その笑みにエザリアと似たものを見た気がした。

『俺が行っていいの?』
「…え?」

問いかけの意味が解らずに聞き返すと、アスランはまたにっこりと笑んで、髪の雫を払った。

『俺が行ったら、君を違うところに監禁するかも。』

声だけは低く言ったアスランに、キラはドキリとする。
アスランの目は笑ってはいたけれど、冗談めかした色など少しもなくて。
正直、戸惑った。

「アスラン、何言ってるの?冗談…」
『冗談だと思う?』

笑いとばそうとしてすぐに遮られ、言葉を失う。
キラには、どうしてアスランがそんな事を言うのか、全く解らなかった。

『冗談かどうかは、俺がそっちに行ってからゆっくり教えてあげるよ。ねぇキラ。俺が行っていいの?』

優しい声音で、実行をほのめかすように言われ、キラはコクリと喉を鳴らした。


『…本当は、違うやつに来て欲しいんじゃないのか?』


少し間を置いて問いかけられたのに、キラはえ、と目を見開く。
アスランは真剣な眼差しでキラを見て、少し苦笑を漏らした。

『本当はイザークに来て欲しいんじゃないの?』
「……んで…?」

掠れた声で、キラが呟く。
さんざん迷って、悩んだ末にアスランに連絡したというのに。
アスランしか頼れる人はいないと思ったから、頼んでいるのに。
どうしてそんな事を言うのだろう。

「なんで…そんな意地悪な事いうのさ…?」

胸に込み上げたのは、今まで嫌というほど感じた悲しみなどではなく、深い憤りだった。
イザークが迎えに来てくれるわけ、ないじゃないか。
例え任務であっても、迎えに来られるわけがない。
イザークと自分はもう、赤の他人で。
イザークはエザリアに勘当されてしまった。
自分の所為でそうなってしまった彼が、迎えになど来てくれるはずがない。

イザークには他に好きなひとがいるのに。
どうして皆、必要以上に自分達を苦しめるのか。

それが痛くて、たまらなかった。


「どうしてアスランはいつも、そんなに意地悪な事言うの!?イザークさまが…イザークさまに、そんな事頼めるわけないじゃない!!」

高く叫ぶと、アスランが驚いた顔をする。そしてすぐ後には、困ったような顔で笑った。

『イザークさま…ね。』
「ばっ…馬鹿にしてるの!?」
『いや、別に。こっちの話だよ。』

スペアの紅を緩慢な動作で纏いながら、アスランは自嘲的に呟いて。
きゅっと襟元を正した。



「いいよ、キラ。迎えに行ってあげる。王子様がね。」




writtenbyBreakHeart:らん様

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UpData2006/06/08
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