イザーク様、ここにきてキラちゃんとの関係に態度急変!
ダークホース・アスランの動きも気になる・・・


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軍服の婚約者30〜34
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31:窓辺
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できるだけ早く来てね、とキラが言ったのに微笑んで。
それを最後に、アスランは通信を切った。

「王子様…ね…。」

自分で言った言葉に笑って、部屋を後にする。
向かったのは、ディアッカとニコルが待つ食堂。
濡れたままの、邪魔な髪を後ろにまとめて、特に急ぐでもなくそこへと向かった。
本当は、あまり気がすすまなかった。
きっと今頃は、イザークも食堂にいるだろうから。
彼に会ってしまったら、自分はキラの事を黙っておけなくなるだろう。
『キラは俺がもらう。………お前の前で、堂々と、だ。』
イザークに言ったあの一言を、沈黙によって破るわけにはいかないから。

食堂への長くない道のりを、できるだけゆっくりと歩きながら、アスランは深く溜息をついた。


「よっ、お疲れ!」

ざわざわと賑やかな食堂に足を踏み入れてすぐ、ディアッカに声をかけられた。
待っていたというように、空けておいた手前の席を顎で差して、ディアッカはアスランを座らせる。
隣にはニコルもいて、彼もまた待っていたようにアスランに手を振った。

「何だ、待ってたのか。」

彼等の前に用意されたトレイに、まだ手つかずだろう食事があるのを認めて、アスランは目を丸くした。
大人しく席について、自分の前にも押し出されたトレイを受け取る。
そして、見知った姿が側にないのに眉根を寄せた。

「イザークは?」

既に来ているものだと思っていたのに、付近に姿は見当たらない。
あの髪色は遠目でもよく目立つから、すぐに見つかるはずなのに…。
2、3度きょろきょろと回りを見回して、アスランが平坦に尋ねると、ディアッカとニコルがずいっと顔を寄せてきた。

「今日一日、イザークのやつどうだったよ?」

珍しく面白がる様子もなく、むしろ心配だとでもいうように言ったディアッカに、アスランは小さく肩を竦めた。

「…御想像にお任せするよ。…で、あいつは?」
「それが、まだ来てないんですよ…あのひと、どっかに倒れてるんじゃないしょうね?」
「部屋に戻ってるか、俺後で見に行ってくるわ。まったく、世話のかかる…。」

ぶつぶつと言ったディアッカに、言葉通りの棘も面倒そうな様子もない。
今朝イザークに突進した元気のよさすらなく、アスランの目には彼等こそがおかしなものとして映っていた。
ディアッカとイザークは幼い頃からの仲だと聞くし、あそこまで惚けてしまったイザークを、ディアッカとしても見過ごしてはおけなくなったのだろう。
いつもイザークに対して辛辣な言動の目立つニコルでさえも、反省を見せていて、アスランはまた溜息をつきたくなった。
こうまで態度を急変されると、アスランとしてもどうしていいやら解らない。
ただ、キラに関しては彼等にも話を通しておくべきかと、それだけは確信した。

「…さっき、キラから連絡があった。」

半ば諦めたように静かに言ったアスランに、ディアッカとニコルは一瞬何を言われたのか解らず、目を瞬かせる。

「「はぁ…っ!!?」」

それからひと呼吸の後、仲良く声を合わせて叫んだ。

「何でお前んとこにキラから連絡が行くんだよ!?」
「そうですよっ!どうしてアスランのところにだけ…!?」

ガタンと席を立ち、アスランに向かって詰め寄った二人は、トレイがひっくり返らんばかりの勢いでテーブルを叩く。
その巨大な音によって、騒がしかった食堂内はいっきに静まりかえり、回りの兵士達はピタリと動きを止めた。

「…連絡先を教えたからに決まってるだろ…。」
「うっわ!抜け駆け!!お前ってマジでキラに迫るつもりじゃないだろうな!?」
「もう、こんな時に最低ですね、アスラン!僕、見損ないましたよ!」

おいおい、今度は俺が悪者か…?
と、アスランは頭が痛くなる思いがして、天井を仰ぐ。

「とにかく、キラから連絡があったんだ。どうやら、監禁されているらしい。」

言った後、また長い間があって。
その間にアスランは、目の前にあった自分の食事だけを宙に浮かせる。

「「えええっっ!!?」」

予想通り訪れた振動が、ガシャンと卓上のもの全てをぐしゃぐしゃにするのを、アスランは疲れた顔で見守った。

「何だよそれ、どういう事だよ?キラが、監禁…!?」
「一体誰がそんな事を…!?」

ディアッカとニコルは、これ以上ないくらいの大声でアスランに詰め寄る。
パンを一口かじったアスランは、彼等が興奮する分冷静になって、モゴモゴと口を動かしながら事のあらましを教えてやった。

「イザークの母上だよ。部屋に閉じ込められたから、迎えに来てくれないかって。」

淡々としたアスランの言葉に、ディアッカもニコルも絶句する。
イザークを勘当したのに飽き足らず、今度はキラを監禁。
一体どこまで非常識が展開してゆくというのだろう。
それに加えて、キラが誰でもない、アスランに助けを求めたというのにも、二人は言葉を失った。

あれだけイザークさま、イザークさまと、イザークにはおおよそ似つかわしくない敬称で呼ばわっていたキラも、さすがにアスランに傾きはじめたのでは、と。
そんな事がまず、脳裏に浮かんだ。

冷静になって考えてみると、確かにキラの身に何かあった時、キラ自身としてはアスランの方が誰よりも頼りになるだろう。
イザークの今までの行動を思い返してみても、キラにとってイザークなど、助力を仰ぐ対象にもならないだろうから。
地位も、能力も、アスランが上。
財力も、人望も、アスランが上。
アスランの方が紳士的だし、温和。
何より、優しさが違う。

今までにイザークのファンだった女の子たちが、アスランに乗り換えた…という噂も聞くとおり、キラも心映りをしたのではないか。
イザークはもやはジュール家から断絶した身。
あれだけキラに暴言を吐いて、最後には家柄まで失ったイザークを、キラが見限ったとしてもそれは誰の目から見ても仕方のない事だ。

それに気付いたディアッカと、そしてニコルは。
イザークに対する罪悪感と同情を、全く違うものへと転換させてしまった。
イザークとキラの仲を妨害しようと決意した時と、同じ気持ちが今、アスランに対して蘇る。

アスランとキラをくっつけてはならない。
キラの為に、プラントの為に、はてまた落ちるところまで落ちた”イザークさま”のためにも。

「それをイザークに言おうと思ったんだけどな。このまま俺が迎えに行ってもいいけど…一応、あいつの家だし。」

尚も食事をとりつつモゴモゴと言ったアスランの言葉を、ニコルもディアッカも全く聞いちゃいなかった。

コンコンと、音がした。


ノート型の、使い古されたPCを前にだらだらと時を過ごしていたキラは、最初風の音だと思った。

アスランが、『イザークの名前が出ていた』と言ったから、何となく離れがたくなって、ぼうっとディスプレイを眺めている。
この状況がどうにかならないものかと部屋を物色して、ようやく見つけたそれは、使い古されてもう半分、壊れかかっていた。
スペックも低いし、OSも何十年も前のものだ。
普通ならガラクタで済ませられるPCではあったが、イザークのものだと思うだけで新しいもののように見えた。

通信が切れて、真っ暗になった画面にはスクリーンセーバーが動き出す。
恐らく、本来のものそのままなのだろう。
OSのロゴがくるくると回っているだけの単純なセーバーが、妙におかしかった。

キーボードの表面を、撫でるように弄っていると、またコンコンと、窓を叩く音がした。
ちらりと窓の方へ視線をやるも、分厚いカーテンのひかれたそこには、何も見つける事などできず。
キラは首を傾けた。
ここは、ジュール邸の3Fに位置する場所だ。
そんな所で音がするといえば、風の音に違いない。
今度は机の上に臥せって、キラは自分の長い栗毛を弄り、気を紛らわせた。

そういえば、どこかの古い本で失恋した女の子が髪をばっさりと切ってしまう話を読んだ。
自分もそれをすれば、このもやもやとした気分をスッキリさせることができるだろうか。
机の引き出しを漁れば、簡単にカッターナイフが見つかって、それを眺めてまたはぁ、と溜息がもれた。

コンコン、コンコン

連続した、音。
こうまでされると、さすがに人為的なものだと気付かされて。
キラは訝し気にカーテンの隙間を、少し離れたところから覗き込んだ。
外はもう、日が沈んで星が瞬き始めている。

コンコン

また音がして、ゆらりと、何かの影が動いた。

「誰?」

小さく声をかけても、聞こえていないのか返事は返ってこない。
おもいきって窓に寄り、カーテンを隠れみのにして外を伺うと。
バルコニーの端に、見なれた紅い軍服があるのに気がついた。
え。
と、キラは弾かれたように時計を振り返る。
通信をしてから、まだ20分。
迎えに来てとは言ったけれど、まさかこんなに早く来てくれるなんて思わなくて。
しかも、こんな所から来るなんて思わなくて。
キラは慌てて窓を開けた。


「もう、アスラン!びっくりするじゃない、泥棒に間違われるよ!!?」


嬉しさ半分、呆れ半分で叫んだキラは、そのすぐ後、口をぽかんと開けたまま言葉を失ってしまった。
キラがアスランだと思った人影は、キラ同様、驚いた顔をしている。
キラが呼んだ名前が、思いもよらないものだったから。
彼は、アイスブルーの瞳を大きく見開いて、言葉もなくキラを見つめていた。



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32:キラの王子様
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夜風に晒された二人は、しばらくの間動く事も、言葉を発することも、瞬きをする事さえも忘れて、そのままの格好で立ち尽くしていた。

キラは、大きく開け放った窓から身を乗り出して。
イザークは、それを避けるような形で身を引いたまま。
お互い数歩もない距離で、ただ見つめあう。

思いもよらない、この遭遇、その言動に。
驚いたのは最初の2、3秒だけだった。
あとの沈黙は、きっと、単純に見とれていただけだったのだと思う。

星の瞬く夜空に靡く、銀色の髪色と澄みきった蒼の瞳。
そして、ささやかな光にでも反射して輝きを増すアメジストと、亜麻色の髪。
それらが目の前にあって、計らずしも手を延ばせば触れられる距離にいる。
視界いっぱいに広がるそれぞれの美点に、二人は魅せられて。
言葉を発する事でこの瞬間を台無しにする事なんて、できなかった。

キラの、身体に合っていない余りに余ったシャツの裾が、風を孕んで激しく靡く。
長い髪も音が鳴るほどに揺れて、イザークはそっと、目を細めた。
見開かれた瞳は、あの時とかわる事のない光を発している。
熱に魘される自分に微笑み、決して逸らされる事のなかった、輝く双眸。
意地など張らず、素直に『キラ』を見つめていたなら、すぐにそれだと分かっただろうに。
それをしなかった自分に、どうしようもない救いのなさを感じた。

でも結局、『キラ』に気付いていたとしても結果は同じだった。
イザークには、それだけはっきりと断言できる。
婚約を破棄した。
この結果だけは、彼女ともっといい形で出会って、もっと周りが静かであったとしても、変わらなかったと思う。

だからイザークは、頑なだった自分の行動に後悔など感じていなかった。
謝れば全てが解決するわけじゃない。
むしろ、謝ってしまったら、全てが無駄になってしまう。
決して謝ったりはしない。
ここに来る前に、それだけ、固く心に誓った。
ここに来たのは、謝るためなどではなくて。
もっと大切な事を、伝えるため。

目の前の存在を、大分冷静に捕らえる事ができるようになった頃、イザークは何度も思い返したことを再度自分に言い聞かせた。
キラはまだ、動けないでいる。
目の前に立っているイザークの姿が、なかなか現実だと認識できず、窓に手をかけたまますっかり放心してしまっていた。
そんなキラに、いちはやく現実を取り戻したイザークもどう声をかけていいのかと困って、時間を持て余す。
せっかく誰にも見つかる事なくここまで忍び込んで来たのだから、早く中に身を隠したいところではあったが、キラがそれをさせてくれそうにもなかった。


「…悪いが、中に入れてくれないか。

なるべくキラを刺激しないように、イザークは静かに言った。
優しく、穏やかに、最大限に気を使って言ったはずの言葉だったのだが、途端キラは雷にうたれたようにビクリとした。
それにイザークこそが驚いて、すぐに口を閉ざしてしまう。
もう自分のどんな言葉すらも、彼女には脅威以外の何ものでもないのかと、イザークは酷い罪悪感をつきつけられた気がした。

しかし、キラが身体を硬直させたのは、決してイザークのせいなどではなかった。
イザークが言葉を発した丁度その時、部屋の扉がコンコン、と音をたてたのだ。
まだバルコニーで風の煽りをうけていたイザークは、ただでさえ広い室内で聞こえた些細な音など聞こえはしなかったが。
再度鳴らされたノック音は、はっきり聞き取ることができた。

ドンドンと、今度は強い調子でドアが叩かれたからだ。
その後でガチャガチャと、随分慌てたような乱暴な音が聞こえてくる。
2回目の音で扉を振り返ったキラは、すぐにイザークに向き直った。

「………れて……。」
「……え、…。」
「隠れて!!!!!!」

途端蒼白になり、キラが押し殺した声で叫ぶ。
イザークは誰が来たのかを瞬時に悟って、押されるがままバルコニーの隅へと身を隠した。
それを確認する間もなく、キラは急いで窓を閉め鍵までキッチリとかけて、カーテンを閉じる。
その間約2秒。
固く閉ざされていた扉が凄まじい勢いで開き、もう一人の銀髪の麗人が飛び込んできたのは、すぐの事だった。

「キラ!!!!」

かん高い叫びを上げてエザリアが姿を現した時、キラはギリギリセーフでベッドにダイブしていた。
うつぶせに寝転んだ状態で、まるで今気付いたとでも言うように顔を上げる。
苦しい演技なのは分かっていたが、バルコニーにイザークが隠れているなどという信じられない事態に、キラ自身も混乱していた。
どうして彼がそこにいたのかは分からないが、エザリアに見つかるとやばいのだけは確か。
今の、何をしでかすか分からないエザリアにイザークが捕まってしまったら、それこそこの場で………絞り取られかねないから。
イザークを守ろうと決心していたキラは、何としてもエザリアには気付かせまいとして演技をするしかなかった。

「ど、どうしたんですかぁ、エザリアさま……そんなに慌てて…。

眠そうに目を擦りながら、寝言でも言うように間延びした声を出す。
多少酔っぱらいじみた演技になってしまったが、そんな事は気にしていられない。
不機嫌に顔を歪めたエザリアは、勢いよく部屋へと踏み込んできて。
キラの方にではなく、部屋の隅にある机の方へと、足を進めた。
エザリアの手が、そこに放置されたままのPCにかかるのを見て、キラはギクリと背を凍らせる。

イザークに気をとられていたため、PCを隠す事にまで頭が回らなかった。
通信履歴を調べられれば、アスランに連絡した事がすぐに分かってしまう。
咄嗟にベッドから下りて、エザリアの横からかすめ取るような形でPCをひったくると、キラは後ろ手にそれを隠した。

「どうして隠す?」

当然の台詞が、エザリアの薄い唇から飛び出してくる。
不機嫌だった顔に威圧的な色を濃くし、エザリアはキラを睨んでいた。
そこには憎しみすら感じられる。

「べ、別に…。」

苦しい。
苦しすぎる。
頭の中で危険信号がちかちかと光るのを感じながら、キラは必死に目を泳がせた。
イザークが見つかるのも危険だが、アスランが迎えに来ると知られるのも危険だ。
イザークについては言うに及ばず、せっかくアスランに迎えを頼んでも、事前に知られてしまったのでは他にどうとでもされてしまう。
おまけにアスランにまで多大な迷惑をかけてしまうかもしれない。

PCを背に隠しながら、じりじりと後ろへ下がると、自然窓の方へと足を進める形となる。
そうする事で、イザークとアスランの両方を背に庇うハメとなり、キラはいよいよどうしていいのか分からなくなった。
イザークは、まだバルコニーにいるのだろうか。
いや、あれは本当にイザークだったのだろうか。
どちらにしてもこれ以上後ろに下がることなどできなくて、カーテンに背を埋もれさせたまま棒立ちになった。

「アスラン・ザラに連絡をとったな。」

追い詰める形で歩みを進めるエザリアは、全て分かっているぞ、とでもいうように射るようにキラを見つめる。
アスランごめん…と心の中で絶望的に呟いて、キラはガシャンとPCを取り落とした。


「この屋敷から発信される電波は全てチェックさせている。隠しても無駄よ、キラ。」
「えっと……ただ話をしただけです…その、よくしてもらったから…。」
「そう。
よくしてもらったから、迎えに来てって頼んだの。」
「知って……?」
「ゆっくりバスタイムも楽しんでいられないわね。ここは気に入らない?」

窓際で交わされる、エザリアとキラのやりとり。
中の様子こそわからなかったが、かろうじてその声だけはイザークにも聞き取ることができた。
窓に耳を傾ければ、途切れ途切れに会話がきこえてくる。
エザリアの厳しい声と、キラのか細い声。
前後の内容から、どうやらキラはアスランと連絡をとっていたらしい。
それに関しては、キラが飛び出してきた時に呼んだ名でイザークにも薄々分かっていた。

きっとアスランも、ここに来る事になっているのだろう。
一瞬苦いものが込み上げたが、逆にそれよりも早く来られたことに安堵もした。

「僕、軍に戻りたい…。」

消え入りそうな、小さな声が聞こえてくる。
イザークは、キラが泣いているのではと思った。



*--------*
33:幻の君
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「残念だけど、それは無理ね。明日から貴方は、ラクス・クラインのところへ預けることにしたわ。そうすれば、貴方を攫おうなんていう不貞の輩も近付けないでしょうし……ね…。」

柔らかいじゅうたんの上を、エザリアは歩幅を広げて近付いてくる。
そうして、告げられた未来に愕然とするキラを押し退け、彼女は勢いよくカーテンを開いた。

「………っ…!!」

あまりに素早いその動作に、キラはしまったと叫びを上げかける。
バルコニーには、イザークがいるのだ。
アスランのことだけでなく、イザークがここに居ることまでばれてしまっては、これからどうなる事かわからない。
それだけは何としても、と体勢を立て直したキラは、カーテンのひかれたバルコニーに誰の姿もない事に気がついた。

「……思い過ごしか…。」

ボソリとエザリアが呟く。
その隣で、キラこそが目を瞬かせて、呆然とバルコニーを見ていた。

思い過ごし…だったのだろうか。
さっきのは、幻…?

目の奥に焼きつけた、月明かりのしたの、イザークの姿。
手を伸ばせば触れられるほどの距離にいて、自分をじっと見つめた澄んだアイスブルーの瞳。

それら全て、幻だったというのだろうか。

自分の勘が外れたことにガッカリしたエザリアが、またカーテンを引くと、キラも深く溜息をついた。

そうだ。
イザークが、ここにくるわけなどない。
軍施設の門限はとうに過ぎているはずだし、わざわざエントランスを通らずに窓から来るのも、おかしな話だ。
第一、来る理由がない。
アスランに自分の事を聞いたのかとも思ったが、今までの事を思うとそれもないような気がする。

月の見せた、幻影だったのかもしれない。
あんまりにも強く、願ったりするから。


「……キラ、聞いているのか?」

いつまでも、ぼぅっと窓の方を向いているキラに、エザリアは訝しげに眉根を寄せた。
キラは、はたと我に返り、小さく首を横に振る。
すっかり元気をなくしてしまったキラの肩に手をやって、エザリアは気遣うように瞳を細めた。

「解って頂戴。退役して、追悼慰霊団に入るのよ。貴方にとって、不足のないとても大切な仕事だわ。入隊の手続きは、ラクスさんにお願いしてるから…。」
「僕は、追悼慰霊のために半年もアカデミーにいたわけじゃありません…!」
「解ってる。それは解ってる。けれど私は、イザークがきっと貴方を守るだろうとそう思って、貴方の入営を許可したのよ。……貴方を失いたくないわ、キラ。聞き分けて頂戴。」
「僕っ……誰かに守ってもらわなくったって…!」
「そう言って死んでいった兵士を、何人も見たわ。」


重みのあるその一言に、キラは言葉を失う。
身寄りのなくなった自分に、ここまで心配してくれる人がいるというのは、とても嬉しかった。
でも。
それはイザークも、同じだから。

だからこそキラにも、エザリアの言う事に素直に従うことなどできなかった。

「…ラクスのところには、行きません。僕…軍に戻ります。」

キラの決意を込めた一言に、エザリアはふぅっと息を吐いた。
疲れたように踵を返し、そして扉の方へと歩き出す。

「明朝、迎えが来る。準備をしておきなさい。」

厳しさを孕んだ言葉を最後に、エザリアは部屋を出て行ってしまった。
元通り、扉をロックするのも忘れずに。

キラはそれを見送って、また窓の方へ目をやった。
恐らくアスランは、もう迎えに来られないだろう。
重い溜息ばかりが口をつく。

いっそもう、バルコニーから抜け出して、無理にでも戻ってやろうか。
恩を仇で返す形になるのは辛いけれど、この半年…いやそれ以上の月日を否定される事の方が、もっと苦しいから。

床に落とされたままのPCを拾い上げ、カーテンを引いたキラは、虚ろな目でバルコニーへ出た。
さらさらと、風が長い髪をさらう。
月の光が眩しくて、とても幻想的な夜だった。
下を見下ろすと、何人かの使用人が当てつけのように見張りとして立っている。
ここから抜け出してしまったら、彼等はクビになってしまうだろうか。
こんな時に、そんな事まで気にかけてしまう自分に苦笑がもれた。
だって、ジュール家はもう、自分にとって特別な場所だから。


「戻りたいのか?」


しばらく風に涼んでいたキラが、諦めて部屋へと戻ろうとしたとき。

再び幻覚が、現れた。


「そんなに戻りたいのか?軍に。」
「貴方が、いるから…。」

一体、いつからそこにいたのだろう。
バルコニーの手すりに腰をかけ、低く問いかけてきたイザークに、キラは寂しげに微笑んで応えた。

幻覚ならばいっそ、それに縋ってみようか。
そんな投げやりな気持ちで言ったキラはしかし、月の下でほんのり朱に染まり、気まずそうに逸らされた端整な顔を見て、目を丸くした。

「そういう事を、軽々しく言うな。」

イザークは、ストンと身軽に手すりから降りると、まるで怒ったような足取りで間合いをつめ。
大きな目をぱちぱちと瞬かせるキラの顔を、見下ろした。
ふわりと、淡いシャンプーの香りが鼻を掠める。
軍施設で使われている、石鹸のような、花の香り。
それ位近くに迫ったイザークの姿を、視界いっぱいに据えて。
キラはどうしてと、無意識に呟いていた。


「戻りたいなら、連れて帰ってやる。…でもその前に、泣かないと約束しろ。」



*--------------*
34:イザーク様の告白
*--------------*

イザークが気まずそうに顔を逸らしたのを見て、キラはハッとして自分の目もとに手をやった。
長い睫が擦った指先に触れるのは、生暖かい涙の感触。
それにまたきっと泣き出しそうな顔をしているのだろうと悟って、慌てて目を擦る。


「ご、ごめんなさ…」

思い返してみれば、アカデミーを卒業してから泣いてばかりだ。
仮にも軍に入った者がこんなにメソメソと泣くだなんて。
あまりの恥ずかしさに耳まで真っ赤になりながら、キラは必死にシャツの袖で顔を拭う。
また嫌われてしまっただろうかとか、どうしてここに彼が、とか。
必要以上に顔を擦りながら混乱したキラを目の前に、イザークこそが困ったように俯いて、

「もういい。そんなにしたら痕になるだろうが。」

と、尚も猫のように顔を拭い続けるキラの腕を長い指で握りしめた。
瞬間、電流にうたれたようにキラの肩が揺れたのにイザークもぎくりとしたが、ここで怯むわけにもいかずそのままキラの手を降ろさせる。
そうしてすぅっとキラの横を通り過ぎると、まるで風邪のようにカーテンを撫で、部屋へと足を踏み入れた。

見る景色の全てが、酷くなつかしい。
自分がここを使っていたときのままの机、ベッド、クローゼット、装飾物。
1年前に出ていったときそのままの、配置と匂い。
それらに懐かしさを感じ、イザークはぐるりと部屋を見回した。
キラはまだ、窓際に立ったまま。
吹き込む風にカーテンがふわふわと揺れる中で、ひとり月明かりを背にして立っていた。
瞬きを忘れたように見開かれた目は、まるで幽霊でも見るようにイザークを見つめている。
彼女の体躯に合っていないシャツが、いっそだらしないまでにようやく彼女の細い肩にひっかかっているのに気付いて、イザークはシャツの本来の持ち主を悟ってますます気まずい思いにかられた。

「いつまでそこに立っている気だ?」

放っておけばその場で化石となってしまいそうなキラを、イザークはなるべく静かに呼び掛ける。
それでも尚固まったままのキラにじれて手を差し出せば、我に返ったキラがまた震えたのがわかった。
イザークはキラの戸惑いに見て見ぬふりをして、辛抱強くキラが手を取るのを待つ。
いや、もう手を取ってはくれないかもしれない。
でも、キラが少しでも歩み寄ってくれさえすれば、それでもいいと思った。

イザークの、母親譲りの真っ白で彼女よりも遥かに大きな手を凝視して、キラは息を呑む。
今、自分に向かって差し出されているその手。
それがただ単純に、何の他意もなく差し出されているのが分かっているのに、緊張に全身が固まって。
さっき一瞬握られた腕を今度は自分の手で捕まえながら、キラは頭が真っ白になったような気がした。

「ずっとそこにいられると、話ができないだろう。窓は開けたままでもいい。こっちへ来い。」

警戒に強ばったキラを安心させようとするも、イザークは自分のいいように嫌気がさす。
いつもいつもこうだ。
こんなところまで母親に似て、相手を威圧する。

「…頼むから…。」

まるでこっちが怯えているようだと更に手を延ばしながら、それでもまだマシな言葉を出せたと思うと。
キラの手がピクリと動いたのがわかった。
キラは、ゆっくり、ゆっくりと掴んでいた自分の右腕を持ち上げ、イザークに向かって手を伸ばす。
それにほっとしてイザークが一歩近付くと、キラも一歩部屋の中へと足を踏み入れ、キラの身体がストッパーになって開いていた窓がパタリと閉じた。

「イザーク…さま……?」

ほんとうに?と首を傾げたキラは、触れるか触れないかの距離で手を浮かして瞬きを繰り返す。

「敬称は必要ない。もう俺は…ジュール家の人間じゃないからな。」

その距離にもどかしさを感じ自らキラの手先を握ろうとすると、またキラの細い指先はイザークから遠ざかってしまった。

「ご、ごめんなさ…!僕…!僕のせいで、エザリアさまに……!」
「謝るな。
お前のせいじゃない。わかっていて言ったことだ。」
「……でも!イザークさ……んが出ていくことなんて、ないのに!!」

イザークの一言で途端現実を取り戻したキラは、大声で叫びそうな声を何とか殺し、何度も謝罪を口にする。
イザークは、まるでとりつく島を与えないキラに、少し困ったように首を傾げ、キラの気がおさまるまで、しばし口を閉じていた。

「本当に、僕…、貴方に迷惑をかけるつもりは……」 「お前のせいじゃない。元々、俺は軍に入った時からこの家の後ろ盾など放棄している。」
「……え…?」

ダメ押しのように頭を下げ、涙の溜まった瞳を上げたキラは、イザークが待っていたとばかりに口を開いたのに目を丸くする。
イザークが言った意味がよく分からず、半ば開いていた口をパクパクとさせるキラに、イザークはだから、と続けた。

「だから、母上の決めた婚約は、受け入れられん。」
「……っ…」

真摯に見つめてくるアイスブルーに、キラは息を止める。
胸の奥がズキリと痛みを訴え、しかし逆に涙はすうとひいていった。

「軍に入ったのは、自分の意思で将来を決めたかったからだ。誰かに決められた道で満足できるほど、俺は分別がつく方じゃない。」
「……。」

ああだから、自分ではだめなのだ。
きゅうと締め付けられる胸に、シャツの合わせ目を握り締めながら、キラはでも、と思う。
伴侶になれなくても、傍にさえいられればと。
イザークが誰を選んで、誰と生涯を共にしようと、それを見守ることのできるところに。
イザークが必要なときに、力になれれば。
震える唇をかみ締め、それでもいいと笑みをつくろうとしたキラは。
口を開きかけた自分の言葉を遮ったイザークの一言に、一瞬にして頭が真っ白になった。

「だから、お前も親同士が決めた婚約などに縛られる必要はない。」

怖いくらいの真剣な瞳を見つめたまま、キラは何?と顔をこわばらせる。

「決められたことだからと、そんなもので俺を選ぶ必要はない、と言っているんだ。」
「決められた…こと?」

そうだ。
確かに自分はイザークと結ばれる運命になるのだと、決められて生まれてきた。
エザリアと出会ってからそれだけを信じて生きてきたし、その為に軍に入った。
だって、そう決められていたから。

「…ちがう…っ…!」

長い髪を揺らし頭を振って、突然高い叫びを上げたキラに、今度はイザークが目を見張る。

「貴方と一緒にいたいから…っ…貴方しかいないって、思ったから…!だから、僕は…!!」

居場所が、欲しかった。
自分が必要とされる場所が、欲しかった。
最初はそれを与えられたことが純粋に嬉しかたけれど、イザークに会ってから、そんなこととは関係なく彼の幸せを願っている自分がいる。
誰に感じたこともない気持ちが、彼のことを考えるだけで沸いてくる。
彼の前に立つだけで、体中が熱くなって心臓が高鳴る。
何度拒絶されても、あの医務室での手の温かさが忘れられなくて。
彼に恋人がいるのだと知ったときも、彼の望むとおりにしてあげたいと思って。
それは、婚約者だから、決められた相手だったから、とかじゃない。

「僕は…っ…僕は、婚約者じゃなくなっても、ずっと傍にいたい…!好き…だから!」

まだ父と母が生きている頃に見た、透き通った地球の海を思わせるブルーが、まるで真偽を見極めようとでも言うように自分を見つめている。
それを懸命に見つめ返し、キラは自分のありったけの思いをイザークに伝えようとした。
この人の為だったら、どんなに辛く苦しいことだって耐えられるのに。
死だって厭わないのに。
イザークが幸せになるんだったら、自分はどうなったってかまわないのに。
彼の一言一言に、こんなにも一喜一憂して。
両親が死んでから枯れてしまったのだと思っていた涙が、こんなにもたくさん流れるのに。
ただ、自分のこの気持ちを疑われることだけは、耐えられなかった。

だったら、イザークが少し掠れた声でキラに言った。

「だったら、俺と結婚してくれ。」

キラの涙に歪んだ視界に、ゆっくりと目線の下がってゆくイザークの瞳が映る。
ゆっくりと、ゆっくりと。
わやらかな絨毯の上に右膝をつき、キラの前で膝を折ったイザークは、変わることのない真っ直ぐな瞳で、キラを見上げた。


俺と、結婚してくれ。


彼は何といったの?



writtenbyBreakHeart:らん様

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UpData2006/07/11
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